明日は「問いと共に座る間の会・問ひの間(といのま)」です。
明日は、初めての企画「問いと共に座る間の会・問ひの間(といのま)」です。
1回目の問いは、「その責任をどうしますか?〜責任・咎(とが)・罪を巡って」。
わたしが日常の場で聞いた「責任」という言葉で、とても長く残っているものがあります。
数年前に聞いた「もし万が一、何かがあった時は、ぼくが責任を取る」というものと、まだ2年も前ではないと思いますが、「続けていくことで責任を果たしていく」というものです。どちらもそれぞれ集団に関わることでした。詳しい文脈を説明する必要はないかなと思いますが、これらは、そのまま聞くことは聞きましたが、さてどういうことなのか腑に落ちないものがあり、今もずっと残り続けています。
また、最近は、父が、時々、家での特に夕食の後などに、「清算は?」とか「責任者は?」と聞くことがあります。割とよく「責任者」という言葉が出てきます。
これは、上の二つとはちょっと違うものを感じるのですが、何だろうと思っています。
こうした日常的な場面だけでなく、今は、ニュースなどでも頻繁に「責任」という言葉を聞きます。
「責任は全て自分にある」「責任を果たしていく」「責任を痛感致します」「責任と取って辞任します」などなど。
言葉としては語られるのですが、その実、「責任」は「ある」ものなのか、「取る」ものなのか、「果たす」ものなのか、「痛感」するものなのか、では、それはどういうことなのか、よくわからない感じがいたします。
責任というのは、その人一人のことなのか、集団的なものなのか、自分の行なった行為に対することなのか、行なった行為ではなく他の人との関係のことなのか。
以下は、お便りに書いたことを、もう一度、ここにも転載いたします。
かなり以前から、テーマを決めて集まることをしたいと思っていました。
いくつか気になっているテーマがあるのですが、今回は「責任」という言葉を巡って、そして、それを問いの形にして、「責任」という言葉がどのくらい身についたものとして発せられる言葉なのか吟味してみたいと思います。
「責任」という言葉は、近年本当によく耳にしますが、実際のところ、わたしにはよく分からないところがあります。昔のある時期には、「無責任男」や「無責任時代」と言って笑える時代がありましたが、今、果たして、「無責任男」や「無責任時代」を笑えるでしょうか?
「責任」自体、何だかよく分からなくなっているので、「無責任」と言ってもピンと来ません。
もちろん、この言葉の語源とか、社会的意味合いの歴史などを学術的に考えることも可能かもしれませんが、「問ひの間」では、実際に、「その責任」を想定した場合、それぞれ自分自身が、それをどうしたいのか考えたいと思います。具体的に想定するものは、参加者それぞれ思い浮かべることでいいと思います。
ぜひ、ご興味を持たれた方にご参加いただきたく存じます。
問いと共に座る間の会・問ひの間(といのま)
問ひ:「その責任をどうしますか?〜責任・咎(とが)・罪を巡って」
日時:2020年8月9日(日)14:30~17:30
場所:アスト津3階 みえ市民活動ボランティアセンター交流スペース7番テーブル
定員:最大7名まで(参加表明いただけるとありがたいです。当日でも。)
FBイベントページ
:https://www.facebook.com/events/2799727070248812/?locale=ja_JP
お問い合わせ、申し込み先は、aidanokai2015☆gmail.com(☆を@に変えてください。) です。
お読みいただき、ありがとうございます。
間の会 西脇秀典
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