【間の会のお便り】 2020年8月7日を掲載します。
昨日の早朝、郵送版の【間の会のお便り】を発送したのですが、読み返していて色々と言葉を直したり付け加えたくなり、郵送でお送りしたものとは、かなり異なっています。いつもなかなか書き出せなかったり、郵送の方は出来れば4ページに収めたいと思うので、こういうことになるのでしょう。HPなどには、こちらの方を載せます。メール送信分からも少しだけ直した箇所があります。
【間の会のお便り】2020年8月7日
みなさま、こんにちは。今日は立秋ですね。
広島に原子爆弾が投下されて75年目の日に書き始めようとしましたが、一文字も書けませんでした。6年前のこの日とその前後、広島で聞いた人々の言葉や、浮かんでくる面影が、何度も巡ってきます。75年という数字が、どのようなものか分からず、戸惑います。本当に時の流れ、年月の流れはあるのでしょうか。
今回のお便りは、ご案内する催しが多くて、浮かんでくる言葉も多くて、どうしたらいいのか、迷っていました。一つ一つ、別々にご案内したい感じもあります。わたしにはどれも特別で、疎かにしたくありません。が、長くなりすぎると、ご負担かと思います。説明過剰も面白くありません。
ひとまず、ご案内するのは、以下の四つです。
一、問いと共に座る間の会・問ひの間(といのま)
問ひ:「その責任をどうしますか?〜責任・咎(とが)・罪を巡って」
日時:2020年8月9日(日)14:30~17:30
場所:アスト津3階 みえ市民活動ボランティアセンター交流スペース7番テーブル
定員:最大7名まで(参加表明いただけるとありがたいです。当日でも。)
二、お盆の間の会
日時:2020年8月16日(日)16:00~19:00
場所:津市まん中広場(雨天中止)
三、月々の間の会
日時:8月◇2020年8月23日(日)13:30~16:30
9月◇2020年9月27日(日)13:30~16:30
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター2階集会室
四、オンライン間の会〜をちこちの間(ま)・・・オンラインで会うことは出来るだろうか?
日時:2020年8月26日(水)20:00~22:30
方法:Google Meet(要申込・定員5名)
◆ まず、6月と7月の「月々の間の会」にご参加いただいた皆さま、「第五回津久井やまゆり園事件を忘れないZoom集会in みえ」にご参加いただいた皆さま、ご視聴いただいた皆さま、誠にありがとうございました。正直なところ、後者のオンライン集会は、たくさんの貴重な言葉に触れて、ありがたいと思う反面、オンラインでの集まりと、それをネット配信したことの何とも言えない感触が残っていて、自分の中ではまだこれが何だったのかはっきり定まらないものがあります。
6月と7月の「月々の間の会」は、共に、とても贅沢な時間でした。
4月頃から、人に会う機会が急激に減り、反対にインターネットなどの言葉に触れる量が増えました。それで、非常に自分自身、混乱していた部分があり、何か堂々巡りの中にいるような感じがあったのですが、7月の「月々の間の会」を終えて、随分視界がくっきりしてきたように思います。
7月の「月々の間の会」では、「言葉は自分にかえってくる」という言葉が、特に響きました。
相手があって発せられた言葉であるからこそ、自分にかえってくるのだということに改めて思います。
今回、新しい試みとして、オンラインでも「間の会」をやってみます。しかし、やはり基本となるのは、直接会うこと、集うことです。その思いも新たになりました。
もちろん、今の状況の中で、直接会うこと、集うことに抵抗のある方も多いと思います。
こうして、ご案内しているのは、わたしにとって、大変に喜ばしいことなのですが、だからと言って、ご案内している催しに、案内をもらっているのだから、たまには参加しないと悪いのではないかとか、そんなことは全くありません。ご案内している催しは、どれも全く義理や付き合いで参加していただくようなものでは一切ありません。動き出すものがあれば、どうぞお越しください。それだけです。それが願いでもあります。
新型コロナウィルスに関しては、誰かの意見に従うとか、何かに配慮するとかいうことよりも、どうか、ご自身の不安なり直感なり考えなりを大切にしていただければと思います。
わたし自身は、このウィルスは未だ分からないものなので、分からないものとして判断いたします。自分にとって都合のよい学説は、まず疑います。
しかし、いかにご自身の直感であれ、これらの催しは集いを行う、直接会うものですから、思っていただきたいのは、ご自身のわたしと、あなたと、新型コロナウィルスのどれもですが、実体の分からないウィルスのことより、確かなのは、わたしとあなた(相手)のことだと思います。
新型コロナウィルスを重視しない場合でも、わたしとあなた(相手)のことは念頭に置いてください。
場を開くわたしの方では、出来る限りの感染対策はいたします。
ただ、オンラインのもの以外は、どれも市や県の公共の施設を使っていますので、その利用ルールには従ってください。特に一、の、みえ市民活動ボランティアセンターでの集まりには、センターの利用ルールのマスク着用でお願いします。その他は、集まった人同士の間で随時考えましょう。
また、三重県が緊急警戒宣言というものを出しました。急に県や市の施設が利用停止になる可能性もあります。その場合は、可能な限りご連絡しますが、気になる方はお問い合わせください。
◆ 一、は、かなり以前から、テーマを決めて集まることをしたいと思っていました。
いくつか気になっているテーマがあるのですが、今回は「責任」という言葉を巡って、そして、それを問いの形にして、「責任」という言葉がどのくらい身についたものとして発せられる言葉なのか吟味してみたいと思います。
「責任」という言葉は、近年本当によく耳にしますが、実際のところ、わたしにはよく分からないところがあります。昔のある時期には、「無責任男」や「無責任時代」と言って笑える時代がありましたが、今、果たして、「無責任男」や「無責任時代」を笑えるでしょうか?
「責任」自体、何だかよく分からなくなっているので、「無責任」と言ってもピンと来ません。
もちろん、この言葉の語源とか、社会的意味合いの歴史などを学術的に考えることも可能かもしれませんが、「問ひの間」では、実際に、「その責任」を想定した場合、それぞれ自分自身が、それをどうしたいのか考えたいと思います。具体的に想定するものは、参加者それぞれ思い浮かべることでいいと思います。
◆ 二、は、これまでも、度々この時期に、間の会で集まりを行って来ました。お盆というのは、仏教で言う「お盆」だと思う人も、そうでない人も、どちらでも、なんらかの馴染みがあるようでしたら、ご参加ください。亡くなった人と共にいることは、普段の間の会でも同じですが、やはり、この時期は、亡くなった人たちをお迎えする時期だと思います。屋外の街中の広場で行いますので、ご一緒に過ごしてくださる方を募ります。わたしは、昨年に続き、盆踊りのように、ただ回り歩くようなこともしてみたいと思います。
◆ 三、は通常通り、同じ会場で第四日曜日に、「月々の間の会」を行いたいと思います。この会場は、風通しのよいところなので、感染対策なども少し感じが分かって来ました。もちろん、それは、完全に安全ということでは全くありません。また、市でこの施設が閉鎖になった場合は、その日は中止にして、改めて別の日にまた多分以前に行った公園の東屋などで行います。
◆ 四、は、先日のオンライン集会を終えて、「はっきり定まらないものがあります。」と書きましたが、一つには、オンライン集会とそれのネット配信を同時に行ったことの戸惑いがあります。特に自分自身が配信の映像や音声には触れていないからかもしれません。
先にも少し触れましたが、最近、わたしは、ネットなどで目にする文字の言葉、それも、SNSであったり(SNSの種類によっても色々異なります)、記事であったり、メールであったりで、また違いますし、他に、書物などの文字の言葉、手書きの手紙などの文字の言葉、映画やテレビなどメディアから流れてくる言葉、インターネットの配信で流れてくる言葉、電話やオンラインで話される言葉、劇場などで触れる言葉、マイクで話される言葉、じか、あるいは生で触れる言葉、それらから受け取るものの違いがとても気になっています。
「自分にかえってくる言葉」を発したり、その言葉に触れることは、どの程度、今使える技術を使っても可能なのだろうかと言うことは興味のあることです。マイクで録音して再生して、初めて聞こえてくるようなものもあると思います。
なので、オンライン集会のなんとも言えない、戸惑いを含んだ感触もまだありながら、オンラインで、どの程度人と会うことは可能なのか、「間の会」を行うことが出来るのか、実験的にやってみたいと思います。これに関しては、定員を決めて、申し込み先着順にしたいと思います。
◆ いたずらに皆さんからご心配いただかないようにと切に願いますが、少し最近の家でのことを書きたいと思います。
今週の月曜日のお昼、わたしと父は二人きりで食卓を囲んでいました。父は先に食事をして、座って居眠りをしていました。わたしは自分の食事を作って、ちょうど食べ終わったところでした。
突然、父が飛び起きて、お茶をこぼしながら左手に湯のみをつかんだまま、慌てて、近辺を何か探し回り、すぐ横の台所にある包丁をつかんで、それを振り回しながら、わたしに向かって来ました。「この部屋に6人いるな」ということと、わたしに「そこを動くな」ということと、「お前が死ぬか、俺が死ぬかだ」ということ、「紐はどこだ」ということはわかったのですが、ともかく、包丁を持って、わたしに向かって来ました。また、ソファーに置いてあるクッションや、他の椅子を包丁で突くようなことをしていました。紐が見つからないので、母のエプロンをつかんでわたしに渡して来て、「絶対に動くな」と言って、わたしに自分で手をエプロンで縛るように言いました。言われるままにわたしは手を縛り、父はずっと包丁を握りしめたまま、時には宙を蹴ったりしました。その状態が1時間以上続き、父は何か喋り続けていましたが、わたしは、ひたすら手を縛ったまま、父の話を聞き続けました。
最初、わたしが誰かも分からないようだったのですが、話を聞いて1時間以上経った頃から、だんだん話が変わって来て、「好きなことをやることはいいことだし大事だけどな、仕事もしないわけにはいかんしな。」と、わたしに語りかけているような感じになりました。
包丁を置いてくれるまで1時間半くらいかかったように思います。
わたしは、努めて冷静に、話を聞いていたつもりでしたが、その日の夜中になって、からだが少し震えて来ました。本当に事故にならず、怪我人が出ず、よかったと思います。
その後、母と相談して刃物の管理など、いくつかの対策はしました。まだこれからどうなるかはわかりません。そして、わたしも怖かったのだろうと思います。
しかし、これも大切な時間でした。父の話の大半は意味が分からなかったですが、この間、聞き続けるほかありませんでした。断片的にしか意味が分からないので、解釈もしようがありません。ただ、聞き続けるばかりでした。危険でしたが、そこでは間を大切にするしかありません。
何を馬鹿な、と思われるかもしれませんが、これは「間の会」そのものでした。
どのようであっても、その時間、人と共にいるということは、こういうことなのかと思います。相手が父でなかったらどうか、とも思いますが、しかし、これは、相手が親しい人であれ、見知らぬ人であれ、敵であれ、もしかしたら、虎や熊であったとしても、それは、実際にそうならないとわかりませんが、あるいは、同じなのかもしれません。
いずれも間(あいだ)のことであり、いのちのことです。
さて、見えない、実体の分からないウィルスとはどうしていきましょうか。
繰り返しになりますが、きっとウィルスも含めて、ウィルスとあなたとわたしのことなのでしょう。けれども、実体の分からないウィルスのことよりも、確かなのは、あなた(相手)とわたしの間のことなのではないでしょうか。
何よりも、厳しい暑さです。どうぞご自愛ください。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2020年8月7日 間の会 西脇秀典
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