人間は、論述的話法や科学的研究では実証し得ない、「いる」という現象そのもの。 ケアが必要なこととは? 明日6月12日(木)は【ご縁の間の会】です。
皆様
こんばんは。
いよいよ、各地梅雨入りしていますね。そろそろ台風も発生しそうな感じです。
体調にも影響があるかと思います。どうぞお気をつけください。
明日6月12日(木)は【ご縁の間の会】です。
そして6月の間の会のスケジュールもご案内いたします。
◆【ご縁の間の会】
日時:2025年6月12日(木)13:30〜16:30
場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)
◆【間の会 夏至の祭り】
日時:2025年6月21日(土)日没前後
場所:津市内の公園・広場など(詳細未定)
◆【月々の間の会】
日時:2025年6月22日(日)13:30〜16:30
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター
毎回、このご案内に、どこまで書くか迷います。
やはり、常に最前線は直接お会いして対面する時なのですよ。
その際のやりとり、それは言葉だけでなく、また、その言葉の意味だけでなく、
もっと微細なものも含めた実際のやりとりそのものが何より大事です。
ですので、ここで、わたしの考えや主張を述べることが大事なのでは全くありません。
人間とは何か。
様々な論述や科学的研究が行われてきましたが、
論述的話法や科学的研究では実証し得ないものことが人間なのではないかと、改めて思います。
自我とか、意識とか、知性とか、生物学的生命とか、多分、そんなことではありません。
今、あなたとわたしがいる、という現象そのものが人間です。
ということすら、言葉では言い尽くせません。
人間は、「いる」という現象そのものです。
それは、証明しようがないので、その都度、対面、対峙するしか、それを感じることは出来ません。
本当に、それは、自我や知性などではないのです。
赤ちゃんでも、それは可能です。
というように、断定的に言い切っているように見えるかもしれませんが、
何らかの確信は、常に疑って然るべきです。
常に疑われるので、人に会い続けます。
思い込みに足を掬われないように努めます。
前回、ケアについて否定的に見えることを書きましたが、
別にケアに否定的なわけではありません。
わたしは、暴力、殺人、殺戮、虐殺、虐待、差別、憎悪、攻撃、他害などの連鎖を止めるには、
やはりケアが必要だと思います。
そうせざるを得ない人々に対してです。それをやめられない人々に対してです。
ケアは、何かを守るとか、保護するとか、そういうことばかりではありません。
ケアは戦いでもあります。
かつては殴り合いや取っ組み合いなどの喧嘩もケアだったのかもしれません。
互いが「いる」ことを、どのように実践するのか。
ともあれ、会い続け、目の前の人と共に実践して参ります。
よろしくお願いします。
7月26日(土)の【第9回津久井やまゆり園事件を考える集会 in みえ】も詳細が決まってきています。
こちらもよろしくお願いいたします。
集会ホームページ
https://726kangaerumie.jimdosite.com
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。
●間の会ホームページ:https://aidanokai.amebaownd.com
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2025年6月11日 間の会 西脇秀典
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