間を要に、自他共に豊かにいきてゆく。 明日4月27日(日)は【月々の間の会】です。

皆様

こんばんは。

体調が悪い日が続いていた間に、いつの間にか紫外線の強い季節になっています。

今日は10年前に、間の会の活動を当初一緒に計画していた方に会いにいってきました。

実は、前回の上映会と座談会にもご参加いただいていたのですが、ゆっくりお話しするのは10年ぶりです。

今年は、間の会発足10周年ですが、何か大きなイベントみたいなことより、

こういう行脚みたいなことが大事なようにも思えます。

明日は【月々の間の会】です。

残念ながら、先週のブラタモリは白子港でしたが、贄崎の防災センターのおじさんから聞いた贄崎が紀州藩だった話など、おじさんから直接聞いた話の方がテレビよりも断然鮮やかです。

明日はぜひ贄崎でご一緒しましょう。


◆【月々の間の会】

日時:2025年4月27日(日)13:30〜16:30

場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター

FBイベントページ


先日急遽行った【穀雨の間の会】で、二人の方が哲学談義で盛り上がっておられましたが、わたしは、その話は、特にそれらの哲学書を読んだことがないし、面白くないと伝えました。そうした哲学書から何を得たいのかの方が知りたいと聞いたところ、一人の方が、「身の丈にあった普遍性を得たい」のだと言われました。

そして、その流れの中で、その方は、「精子をパンに変えたい」と言われました。

わたしは、「なんじゃそれは!」と突っ込みつつ、「麻原彰晃みたいなことを言うなあ」と、その場は、笑い話のようになりました。こんなやり取りを文字で読むと気持ち悪いと思われるかもしれませんが、わたしは、終わってからも、何か、この発言がとても切実なことのように思えてならず、後日、メールでその方に、この発言は冗談ではなく、切実なものだったのですよね?と尋ねました。

このような返信が返ってきました。

「冗談抜きで臨んでいたところがありましたね。というのも無目的な個人の快楽だけを貪ることの嫌悪感というのが、おそらくキリスト教経由で自分のなかに入っています。ただ快楽を貪るのではなく、何か他者によきものを与えたいという気持ちがそんな妄想を作ります。」

やはり、そうだったのですね。

わたしは、この発言に、何か非常に明るい光のようなものを感じていました。

「身の丈に合った普遍性」という、その方の仰られた言葉に対して、誠実に向き合われた結果、全く借り物でない、荒唐無稽ながらも、その人からしか出て来ない切実な言葉が紡がれたように思います。

わたしは、こういう言葉を聞けることに、間の会をやっている、豊かさを感じずにはおられません。

わたしは、FacebookとXに、1ヶ月ほど前、このようなことを呟きました。

「わたしは年にほんの数回だけ、本当に快便だと思える時があります。そんな時に限りますが、これは自分が生み出せるものの中で最もクリエイティブなものだ!と心底感動いたします。保存しておきたいと思うものの、出来ませんよね(苦笑)。」

実は、これも、全く冗談だとは思っておらず、いつもそう思うことなのですが、それはともかくとして、人糞は、まだ、半世紀と少しくらい前までは、畑の肥やしにも使われていたのに、たった数十年くらいの間に、どうして、完全に廃棄するものとなってしまったのでしょうね。というか、むしろ、人糞が廃棄されるべきものと見做されるようになった頃から、多くの公害が起こってきました。

わたしは、いつの頃からか、毎朝、生野菜を食べる習慣になってしまっていますが、そう言えば、昨年、野菜の収穫に誘ってくださった友人は、よく「生野菜なんて人間の食べるものとちゃう。虫じゃないんやから。」と言っていたことをふと思い出し、いつ頃から生野菜をサラダで食べる習慣が出来たのだろうと調べていたら、どうも、人糞を肥料に使わなくなった頃からだという記述もありました。

色々な常識が、たった、数十年で全く変わってしまいます。

だから、本当はどうなのか、常に色々と疑ってみていいのだと思います。

そして、それは、理論とか学説とか理屈とか思想とかではなく、

自分の身の丈で言えることは何なのかを探っていくことではないかと思います。

人間の願いは捨てたものではないと、本当に思います。

改めて、間の会は、そういう言葉に触れられる場でありたいと思います。

いや、それはホモソーシャルな場なんじゃないの?というご指摘を受けるかもしれませんが、わたしは、そうではないと思います。極めて真剣な吐露であると思うからこそ、単なる同質な意見のやり取りからは生まれないものだと思います。

どういう人が集まるかによっても、また、異なる切実な発言がありうると思いますし、そういう際のところまで、取り組む姿勢を大事にしたいと思います。

そして、このようなことを、今、思います。


間を要に自他共に豊かに生きてゆく

目的ではなく

ただ、一瞬一瞬、それをやっていく

貪欲にやっていく

善も悪もない

敵も味方もない

勝つも負けるもない

ただ自他と間のみ



以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2025年4月26日 間の会 西脇秀典

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0 likes, 0 comments - aidanokai on April 26, 2025: "間を要に、自他共に豊かにいきてゆく。 明日4月27日(日)は【月々の間の会】です。 体調が悪い日が続いていた間に、いつの間にか紫外線の強い季節になっています。 今日は10年前に、間の会の活動を当初一緒に計画していた方に会いにいってきました。 実は、前回の上映会と座談会にもご参加いただいていたのですが、ゆっくりお話しするのは10年ぶりです。 今年は、間の会発足10周年ですが、何か大きなイベントみたいなことより、 こういう行脚みたいなことが大事なようにも思えます。 明日は【月々の間の会】です。 残念ながら、先週のブラタモリは白子港でしたが、贄崎の防災センターのおじさんから聞いた贄崎が紀州藩だった話など、おじさんから直接聞いた話の方がテレビよりも断然鮮やかです。 明日はぜひ贄崎でご一緒しましょう。 ◆【月々の間の会】 日時:2025年4月27日(日)13:30〜16:30 場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 先日急遽行った【穀雨の間の会】で、二人の方が哲学談義で盛り上がっておられましたが、わたしは、その話は、特にそれらの哲学書を読んだことがないし、面白くないと伝えました。そうした哲学書から何を得たいのかの方が知りたいと聞いたところ、一人の方が、「身の丈にあった普遍性を得たい」のだと言われました。 そして、その流れの中で、その方は、「精子をパンに変えたい」と言われました。 わたしは、「なんじゃそれは!」と突っ込みつつ、「麻原彰晃みたいなことを言うなあ」と、その場は、笑い話のようになりました。こんなやり取りを文字で読むと気持ち悪いと思われるかもしれませんが、わたしは、終わってからも、何か、この発言がとても切実なことのように思えてならず、後日、メールでその方に、この発言は冗談ではなく、切実なものだったのですよね?と尋ねました。 このような返信が返ってきました。 「冗談抜きで臨んでいたところがありましたね。 というのも無目的な個人の快楽だけを貪ることの嫌悪感というのが、おそらくキリスト教経由で自分のなかに入っています。 ただ快楽を貪るのではなく、何か他者によきものを与えたいという気持ちがそんな妄想を作ります。」 やはり、そうだったのですね。 わたしは、こ

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