今日、【春のお彼岸 間の会】、3月23日(日)【月々の間の会】 死者は他者だろうか?

皆様 


こんにちは。

今日、春分の日の日没前くらいに、

【春のお彼岸 間の会】を行います。

また、今度の日曜日は【月々の間の会】です。


◆【春のお彼岸 間の会】

日時:2025年3月20日(木・春分の日)16時半頃から日没過ぎまで。

場所:市役所北・お城西公園の東屋


◆【月々の間の会】

日時:2025年3月23日(日)13:30〜16:30

   場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター

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昨日は午後から30年前のことを、改めて手記として書き始めていました。

今日は地下鉄サリン事件から30年目の日でもあります。

混乱しているというより、ただ、30年前からのことを、

そのまま淡々と書いていました。

が、まだまだ書くことがたくさんあり、時間が足らなくなったので、

一旦中断し、この文章を書いています。


前のお便りの中で、今年こそは東北に行きたいと書いていましたが、

行けませんでした。本当に行きたいのか、突き詰めて考え過ぎて、

結局、一週間以上寝込んでしまいました。

【歩く間の会】も出来ませんでした。

ただ、まをふの行を行っただけでした。


このところ、ご案内の中でも、本当のことだの、普遍的な真理だとの、

物騒なことを書いてしまいます。

本当のことというのは、単に自分にとっての軸となることのことで、

普遍的な真理というのは、例えば、世の中の政治体制とか、主義とか、経済とか、社会とか、

戦争状態とか、災害とか、どんな状況においても変わらないことのことです。


そうは言っても、価値観は国などの体制が変わると一変したりします。

自分が生きてきた間には、そこまで劇的な転換は経験してきておりません。

それなのに、そんなことを考えるのは、単なる抽象に陥るのではないかとも思います。


単なる抽象や観念に陥らない、わたしが拠って立つものは何だろうと思います。

この世にある上で、何か依拠するもの、拠って立つものはあるでしょうか。


わたしの場合、これは、自分の存在を脅かされるほどの、圧倒的他者ではないかと思います。

吐き気を催すほどの、と言ってもいいかもしれません。


それ故に、わたしはあります。


では、圧倒的な他者とは何でしょうか?


人間同士は、確かに、他者ですが、これを敵だとか味方だとか分類すると、既に他者性が薄れてしまいます。


もちろん、人間だけではなく、自然も事物も他者です。


山も森も川も海も皆他者ですが、とは言え、ただ眺めているだけでは他者とまでは言えません。


そこに踏み込むことで、他者は現れます。場合によっては、向こうから押し寄せてくる場合もあるでしょう。


人間も同じで、やはり面と向かいあって、そのエッジまで関わらないと、他者は立ち現れてきません。


人間を自然と対比する考え方がありますが、わたしは、その考え方を取りません。

人間も自然の一部だからです。どうして、自然と人為を分け得るのでしょうか?


人為ですら、どう考えても自然の一部ではないですか。

人為だけ自然の中で特殊な現象だと考えるのは人間の傲慢さのなすことでしょう。


人間同士も、恐るべき自然同士です。宇宙同士とも言えます。身近な自然が人間です。


自他は、言葉の上では人間特有の分類かもしれませんが、自然同士も、人間同士も、事物同士も、

常にヒリヒリとした関係を結んでいます。


意のままにならない、所有できないからこそ他者だと言えます。


ですから、自分のからだも他者です。いのちも他者です。


意のままにならないものと切り結んでいくことが、生きることであり、拠って立つところです。


わたしは、自分より先に亡くなった人は、皆、祖先だと思っています。

これから生まれてくる人は、皆、子孫だと思っています。


けれども、それは、観念ではありません。


漠然とした、観念としての、先に亡くなった人などというものはありません。


やはり、はっきりと面影の浮かんでくる人のことしか、具体的な先に亡くなった人だと思えない面があります。


先に亡くなった人は、単に先に亡くなった人であるだけで、それは、よくも悪くもありません。


日々、そういう人のことを思いますが、思い描いているだけでは、それらの人々は、一向に他者になりません。


先に亡くなった人は、こちらから働きかけることも出来ないし、応答してくれるわけではありません。


先に亡くなった人々は他者と言えるでしょうか。


分からないから、お彼岸に間の会を行います。

の世とあの世の間に舞台をしつらえて、まをふ行を行います。


以前、お彼岸の間の会に参加してくださった方が、亡くなったお母様の話を語ってくださいました。


そこには、はっきりと面影が立ち現れていました。


言葉で語ることで現れる他者性もあります。


とは言え、それは目的ではありません。


ただ、昼と夜の間の時間に、この世とあの世の間に舞台を置いてみるだけのことです。


よかったらご一緒しましょう。



以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

● メール:aidanokai2015@gmail.com間の会 西脇秀典です。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2025年3月20日 間の会 西脇秀典

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間の会 on Instagram: "今日、春分の日の日没前くらいに、 【春のお彼岸 間の会】を行います。 また、今度の日曜日は【月々の間の会】です。 ◆【春のお彼岸 間の会】 日時:2025年3月

1 likes, 0 comments - aidanokai on March 19, 2025: "今日、春分の日の日没前くらいに、 【春のお彼岸 間の会】を行います。 また、今度の日曜日は【月々の間の会】です。 ◆【春のお彼岸 間の会】 日時:2025年3月20日(木・春分の日)16時半頃から日没過ぎまで。 場所:市役所北・お城西公園の東屋 ◆【月々の間の会】 日時:2025年3月23日(日)13:30〜16:30    場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 昨日は午後から30年前のことを、改めて手記として書き始めていました。 今日は地下鉄サリン事件から30年目の日でもあります。 混乱しているというより、ただ、30年前からのことを、 そのまま淡々と書いていました。 が、まだまだ書くことがたくさんあり、時間が足らなくなったので、 一旦中断し、この文章を書いています。 前のお便りの中で、今年こそは東北に行きたいと書いていましたが、 行けませんでした。本当に行きたいのか、突き詰めて考え過ぎて、 結局、一週間以上寝込んでしまいました。 【歩く間の会】も出来ませんでした。 ただ、まをふの行を行っただけでした。 このところ、ご案内の中でも、本当のことだの、普遍的な真理だとの、 物騒なことを書いてしまいます。 本当のことというのは、単に自分にとっての軸となることのことで、 普遍的な真理というのは、例えば、世の中の政治体制とか、主義とか、経済とか、社会とか、 戦争状態とか、災害とか、どんな状況においても変わらないことのことです。 そうは言っても、価値観は国などの体制が変わると一変したりします。 自分が生きてきた間には、そこまで劇的な転換は経験してきておりません。 それなのに、そんなことを考えるのは、単なる抽象に陥るのではないかとも思います。 単なる抽象や観念に陥らない、わたしが拠って立つものは何だろうと思います。 この世にある上で、何か依拠するもの、拠って立つものはあるでしょうか。 わたしの場合、これは、自分の存在を脅かされるほどの、圧倒的他者ではないかと思います。 吐き気を催すほどの、と言ってもいいかもしれません。 それ故に、わたしはあります。 では、圧倒的な他者とは何でしょうか? 人間同士は、確かに、他者ですが、これを敵だとか味方だとか分類す

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