代表・西脇が今週後半に東京で行う活動のご案内。身一つで対峙する。見る方が問われる。
皆さま
こんばんは。
少し寒さも緩んできましたが、また来週大寒波が来るようですね。
どうぞお気をつけください。
今日は、間の会の活動ではありませんが、間の会代表、西脇が、
今週後半東京にて行う活動をご紹介させてください。
前にも書きましたが、基本的には間の会の活動と通底するもののご紹介となります。
人間とは何かを探求して行くのに、観念や思索だけでは、絶対に辿り着けないものがあります。
じかに、人間と対峙しなければ、分かり得ないものがあります。
それを求めて、間の会以外にも、様々な可能性を探らざるを得ません。
長いですが、文章をお送りすること自体が大切だと思っております。
以下の二つです。
一、【西脇秀典×武田理沙 ライヴ】
2025年2月13日(木)
@公園通りクラシックス(東京・渋谷)
武田理沙 p, syn, ds
西脇秀典 body
DUO
open19:00/start19:30
予約¥3,000/当日¥3,300(+d)
公演予約フォームおよび、出演者プロフィール
http://koendoriclassics.com/events/3194/
FBイベントページ
https://www.facebook.com/share/1AP7WaNqYk/?mibextid=wwXIfr
二、【からだを見合う実験室】
2025年2月15日(土)13時〜18時(予定・終了時間は前後する可能性があります)
会場:野沢地区会館 大会議室(東京・世田谷区)
参加費:500円(会場代と運営費含む)
定員:10人(世話人含む)
世話人:大崎晃伸、古川友紀、西脇秀典
FBイベントページ
https://www.facebook.com/share/1Na5Auabxg/?mibextid=wwXIfr
一、 について、
わたしは、普段、主に、津市で、季節の折々に、まをふという身体行為を奉納しています。
しかし、今回は、昨年に引き続き、東京で身体の即興を行います。
今のところ、ライヴハウス等で頻繁にライヴをやるという見通しは考えていません。
しかし、改めて、また、東京でライヴに出るとすれば、今度は、一人ではなく、
誰かとデュオという形がいいと思っていました。
しかも、その場合、質感が似ているとか、そういう感覚ではなく、今、最も謎で、より深く知ってみたい、そして、そのハードルの高さゆえに、最もわたしが死線を彷徨いかねないような相手である、武田理沙さんに、声をかけました。
今、破竹の勢いで快進撃を続ける武田さんは、本当に無尽蔵に音楽の湧き出てくる奇才です。
ある意味、自分とは、全く真逆の表現活動をされている方だと思っています。
何しろ、わたしは表現活動をしていると思っていないので。またどちらかと言うと虚の行為を行っています。
わたしは、表現活動をしたいわけでも、表現者として認められたいのでもないのですが、
今、最も興味深い、謎の人物と一騎討ちをしたいのです。
音楽の人でも、音そのものだけではなく、その身体から、音を出す、その気配が強く伝わってくる人は多いです。
しかしながら、武田さんは、空間がその音楽で溢れて行くのに、気配や身体はむしろ消えて行きます。
初めて聴いた時は、あまりにも隙間なく音楽が溢れているように感じましたが、何度か聴くうちに、
また、お話を聞くうちに、身体で操作をしているものの、ともかく、湧いてくる音楽を、ダイレクトに空間に放っていかれているのだと感じるようになりました。つまり、武田さんという存在が、音楽そのものになって行っているのだと感じます。そして、常に音楽を発していないと死んでしまうかのような切迫した凄みを感じます。
一体、そんな、存在と、どのように、身一つで対峙したらよいのか。
今回、互いに、確認したのは、ともあれ、全く忖度なしの即興をしましょうということです。
わたしは、何か、色々策を弄するとかではなく、この音楽そのものとなる武田さんという存在全体と、どうやっていられるのか、そこには間が生ずることがあるのか、その瞬間に、徹底的にそこに居てみたいと思います。
普段、まをふという行為を行っていますが、これは、ある程度、どのように空間をしつらえるかにも左右されますし、わたしは、これで行くと言ったこだわりは、全く通用しないと思います。
その瞬間にすべてを投じます。
ぜひ、お立ち会いください。もちろんですが、ここに観客の皆さんの存在もあって初めてライヴと言えます。
それら、あらゆるものを否定せず、無視せず、すべての存在を、その瞬間、そこに居ることにかけます。
二、 ですが、
世話人三人で、これまでも度々、話し合ってきました。
これは、今回は、世話人三人からの所見がすべてかなと思いますので、それ以外に付け加えることはありません。
以下に、世話人三人で作成した実験室の概要と、それぞれの所見を載せます。
概要
だれかの体を見ること、だれかから見られること。
この「実験室」では、「体を見合うこと」を通して、その状態や有り様、感触などを味わい、それを言葉にして話し合います。そして、自分やほかの人たちの「見る」や「見られる」を発見し合います。
何かアイデアが出たら、試してみたり。
休憩しつつ、5時間、じっくりと。
そこに人が集い、どのようなことが立ち現れるのかを大切にしています。
*
「からだを見合う実験室」は、3人の世話人で運営しています。
世話人は、この場を開いていますが、プログラムを提供したり、いわゆる「ファシリテート」をするというわけではありません。
参加する皆さんと一緒にその場を作って行きましょう。
「からだを見合う実験室」について (随時更新)
所見 ... 大崎晃伸
私たちは、ふだん他者のからだも、自分のからだも見ています。目に入ってきます。
しかし私たちがからだを見ているというとき、何を見ているのか。本当にからだを見ているのか。からだを見るとはどういうことなのか。
からだを見るとき、からだに付随する情報を読み取っているだけだったりしないでしょうか。あるいはそれは、純粋に見るという行為でしょうか。見るという行為に、何か別の作用や行為が付随していないでしょうか。しかし、そもそも「純粋に見る」ということが成立するのでしょうか。
今回の実験室では、さまざまな見方を試すなかで、もしかしたら凝ってしまっている見方を揉みほぐし、解きほぐし、自分がどのような見方をしているかの自覚に近づけたらと思っています。
所見 … 古川友紀
とある冬の日、雲間から太陽の光が差し込む。
唯一防寒されない剥き出しの顔面に陽が当たる。
すると肌のつっぱっりが、すこし、ゆるむ。
光をまつ毛で受けて、目の際に滑り込ませる。
そんな戯れをしていると、まるで光に触れられているよう。
この陽光のような眼差しを受けたい。
そのような眼差しを他へ向けれたらと思う。
実験室を前にして、最近私が思う「見合う」ことへの所見です。
2025年2月6日
所見 … 西脇秀典
からだは見られたくないものも語ってしまう。
なので、社会的な文脈では、あまり人のことをじろじろ見てはいけないことになっている。
眼差しは、指先や唇などとはまた違った意味で、非常に繊細な接触、触れ、だと思う。
多くの場合、みだりにからだに触れてはならないのと同じかそれ以上に、
みだりに見てはいけないのだけれど、皮膚接触より明確には分かりにくいので、
社会的禁止によって、見る、と、見られるの、いずれもの感覚は、極めて限定的なものになり、
一部の見られる職業の人以外は、見られることに全く慣れていない。
わたしは、この実験室では、見られることに慣れることを目指しているとは全く思っていません。
人前に立つ練習とかではなく、むしろ、見る方が問われるのかなと思います。
大切なものに触れるように見ることは、全く教えられてきていないのですよ。
何が出てきてもいいように、それを決して奪わない、汚さないように。
触れると触れられているとのあわいを感じるように、見ると見られるとのあわいを探ってみたいのです。
からだが感じるままをあらわしてしまっても大丈夫な見方って何だろう。
記録に残すことを目的としなければ、それは、きっとあると思う。
記録に残す場合のことは、ひとまず、考えなくていいでしょう。
人前に立つことに慣れている方も、普段纏っているものに気づけるかもしれませんよ。
2025年2月9日
2月10日(最後の一行足しました。)
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
● メール:aidanokai2015@gmail.com ● 電話: 間の会 西脇秀典です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2025年2月10日 間の会 西脇秀典
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