明日2月9日(木)は、【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】を開催します。

こんばんは。

先日の【ごちゃまぜ 人間の会】では、私がやや体調が悪く、ご心配をおかけしました。

検査やかかりつけの医院の診察を受けて、特に新型コロナ感染の可能性はなさそうなので、

まだ、完全に体調が回復したわけではありませんが、支障があるようなものでもなさそうなので、

明日は予定通り開催します。


◆【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】

●日時:2023年2月9日(木)13:30〜16:30

●場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)

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これは、他の間の会の時もそうですが、先日の【ごちゃまぜ 人間の会】を終えても、

相変わらず、自分自身、至らない部分が多々あるように思いました。

その時、やれる限りのことはやったつもりでいても、

本当にそれが最大限なのか、やる度に問われます。

だからこそ、次にかける思いも強くなります。

毎回、面白いことには違いありませんが、まだ、もっといけると思ってしまいます。

いつ、もう続けられなくなるのか分かりませんから、毎回、思い残すようなことはあってはならないと、

そう思い臨むのですが、そこには、これで満足、みたいなことはないのかもしれません。

皆、それぞれの考え方があって、それでいい、という風に、最近の風潮ではなりがちですが、

もちろん、それぞれ考え方が違うのは当然だとしても、

それを、相手のいるところで表明した場合、

互いに違うのだから、それでいい、というのは、本当に相手を尊重した態度でしょうか。

今、表明した、その人の考えは、違う考えの人のあり方を、侵食したり、

相手を否定したりしていることになっていないでしょうか。

何かを表明した時に、相手との間に起こる軋轢を、なかったように、

無視していないでしょうか。

そこを、もっと、丹念に緻密に見ていかないと、

互いが、互いのことを、亡霊のような存在にしたまま、

そこで、相対峙したことが見えなくなってしまうように思います。

表明したことは、自分の存在だけでなく、相手の存在にも影響を与えます。

こうしたことを、より明確に見極められるよう、

わたくしも精進、覚悟して参ります。

よろしくお願いいたします。


以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。              

2023年2月8日   間の会  西脇秀典

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間の会 on Instagram: "明日2月9日(木)は、【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】を開催します。 こんばんは。 先日の【ごちゃまぜ 人間の会】では、私がやや体調が悪く、ご心配をお

0 Likes, 0 Comments - 間の会 (@aidanokai) on Instagram: "明日2月9日(木)は、【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】を開催します。 こんばんは。 先日の【ごちゃまぜ 人間の会】では、私がやや体調が悪く、ご心配をおかけしました。 検査やかかりつけの医院の診察を受けて、特に新型コロナ感染の可能性はなさそうなので、 まだ、完全に体調が回復したわけではありませんが、支障があるようなものでもなさそうなので、 明日は予定通り開催します。 ◆【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】 ●日時:2023年2月9日(木)13:30〜16:30 ●場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ) これは、他の間の会の時もそうですが、先日の【ごちゃまぜ 人間の会】を終えても、 相変わらず、自分自身、至らない部分が多々あるように思いました。 その時、やれる限りのことはやったつもりでいても、 本当にそれが最大限なのか、やる度に問われます。 だからこそ、次にかける思いも強くなります。 毎回、面白いことには違いありませんが、まだ、もっといけると思ってしまいます。 いつ、もう続けられなくなるのか分かりませんから、毎回、思い残すようなことはあってはならないと、 そう思い臨むのですが、そこには、これで満足、みたいなことはないのかもしれません。 皆、それぞれの考え方があって、それでいい、という風に、最近の風潮ではなりがちですが、 もちろん、それぞれ考え方が違うのは当然だとしても、 それを、相手のいるところで表明した場合、 互いに違うのだから、それでいい、というのは、本当に相手を尊重した態度でしょうか。 今、表明した、その人の考えは、違う考えの人のあり方を、侵食したり、 相手を否定したりしていることになっていないでしょうか。 何かを表明した時に、相手との間に起こる軋轢を、なかったように、 無視していないでしょうか。 そこを、もっと、丹念に緻密に見ていかないと、 互いが、互いのことを、亡霊のような存在にしたまま、 そこで、相対峙したことが見えなくなってしまうように思います。 表明したことは、自分の存在だけでなく、相手の存在にも影響を与えます。 こうしたことを、より明確に見極められるよう、 わたくしも精進、覚悟して参ります。

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