【ごちゃまぜ 人間の会】(2/5)と【からだを見合う実験室】(京都開催)(2/25)他のご案内
こんばんは。
もう節分、明日は立春ですね。日々過ぎて行くのが早いです。
先日の大雪は大変でしたが、皆様は大丈夫でしたでしょうか?
今週末2月5日(日)は【ごちゃまぜ 人間の会】です。
それと、昨年10月と11月に行った【からだを見合う実験室】を、主催は間の会ではありませんが、2月25日(土)に京都で開催することになりました。
主にこの二つのご案内です。(しかし、書いてみたら、どうも重要なことを長く書いているので、これを、後日【間の会のお便り】とするかもしれません。結構長文です。)
◆【ごちゃまぜ 人間の会】
●日時:2023年2月5日(日)13:30〜16:30
●場所:津センターパレス地下一階 津市市民活動センター 研修室
●呼びかけ人:西脇秀典・松田愼二
●参加費:参加費は決まっていません。その場にいる人同士で考えましょう。
FBイベントページ↓
◆【からだを見合う実験室】(京都開催)
●日時:2月25日(土)13時〜18時
●会場:京都市左京西部いきいき市民活動センター 会議室1
●参加費:場所代カンパ
●世話人:古川友紀、大崎晃伸、西脇秀典
※定員あり、要申し込み。申し込み先は、世話人の誰でも結構です。後、若干名の募集です。
FBイベントページ↓
また、来週、2月9日(木)は、【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】です。
◆【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】
●日時:2023年2月9日(木)13:30〜16:30
●場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)
「人は皆、表現者」という言い方を最近は、時々聞きます。
全くそう思わない人もいるでしょう。
また、そうは言うものの、それは建前に過ぎなかったり、単に希望や願望、可能性を語っている場合もあります。
しかし、わたしは、「人は皆、表現者」と言い切っていいように思います。
しかしながら、そうであることを遮る、妨げる要素はあると思っています。
受け取りにサインをする。紙の切れ端にメモを殴り書きにする。
叫ぶ。あくびをする。ため息をつく。ぼーっと佇む。慌てふためく。
これら皆、まごうことなき表現だと思います。
見事に整頓された部屋とか、ぐちゃぐちゃに散らかった部屋とか、
人の話が終わっていないのに話出すとか、身を乗り出して話をするとか、
退屈してどこか中空を見つめるとか、寝そべってしまうとか、
めちゃくちゃ表現しています。
しかし、それは、それだけでは表現ではないとも言えます。
発見されて初めて表現になります。
この、振る舞いと発見の丁々発止のやり取りは、とてもスリリングで滅法美しく、味わい深いものです。
それらがクリエイティヴなことかどうかというのも、それを観察する角度によって変わってきます。
これらのことは、普段から間の会で行っていることですが、
【ごちゃまぜ 人間の会】や【からだを見合う実験室】は、
この味わいをより積極的に追求していこうという意志があるように思います。
先日、ツイッターで知らない人のツイートが流れてきて、そこには、最近流行っている「ごちゃまぜ」という言葉は、支援者の自己満足だ、というようなことが書かれていました。
最近、各地で「ごちゃまぜ」という言葉が使われた活動が盛んになってきているのは承知しております。
テレビや新聞などでも報道されています。
しかし、【ごちゃまぜ 人間の会】には、まず、「支援」という要素や目的は、一切ありません。
主催する我々が、ともかく、普段会えないような色々な人に会いたいだけです。
「誰でも」と謳っておきながら、そういう。配慮のない、誰が来るか分からないような場所には、
行きたくても行けない人がいるわけで、そういう人を排除しているではないかというご指摘もあろうかと思います。
実際に、誰でもと言っても、誰でも参加出来るとは思いませんし、まず、興味を持たなければ参加出来ません。
大金持ちでも、今日の生活に困るような人でも、社長でも、政治家でも、天皇でも、軍人でも、無職の人でも、色々な人に来てほしいなと思いますけれど、まあ、そんな非現実的なことを言っていても仕方ありません。
しかし、普段、自分の立場や役割や、そういうことが生活のほとんどを占めている人も、ともあれ、ここでは、そんなことを少し忘れて単なる人として参加してくださって大丈夫です。それは、障害とか病気とかでも同じです。
気になることは、互いに考えましょう。
人として、その時、その場で、共にいるには、どうしたらいいのかということは、この集まりの根幹なので、そこは全く譲れないところで、主催する側も、覚悟を持って臨みます。
そんなところは、怖くて行けないという人は当然いるでしょうけれど、実際のところ、こういう場所が他にあるかというと、毎回どんな場所になるかも分かりませんし、全く既知の場ではないので、安心して来れる人などいません。皆、怖いので、そこは安心してください。
もしかすると、どこにもない、未知の場は、実は案外、居心地がいいかもしれませんし、悪いかもしれません。
ずっと役割を担っていたい方は、それはそれで、いたいようにいてください。
ここは、人といるということをただ探求する場なので、思想や観念、知識などの武器も必要ありません。
どうぞ、丸腰でいらしてください。
それらの武器を携えていたい方は、それでも構いませんが、では、丸腰の人に対して、その武器をどう行使しますか?
こうしたことは強者の論理であって、精神的、立場的に弱い人を抑圧していると考えられる方もおられるかもしれませんが、
どうなんでしょうね。それも、思い込みかもしれませんし、考え直す余地はあるように思います。
答えを出しているわけではありません。その時、どうしていくかです。
何しろ、社会から要求されるようなことは何もありませんので、もしかしたら、案外気楽かもしれません。
いずれにせよ、全く未知の場なので、呼びかけている方からしても、全く何も予想出来ません。
ここまでは主として【ごちゃまぜ 人間の会】について書きました。
【からだを見合う実験室】は、これは、あくまでも、私見ですが、何か見せるためのパフォーマンスを目指すような場ではないと思っています。このパフォーマンスという言葉ですが、確かに、狭義には見せるためのパフォーマンスとして使われることが多いですし、あるいは、意図的に人を操作するような振る舞いのことをパフォーマンスと呼ぶ場合も多く見られます。しかし、わたくしは、微細なものであれ、何らかの人に影響を与える行為、振る舞いは、全てパフォーマンスと言ってよいと思っています。むしろ、パフォーマンスとは、人に影響を与える行為のこと全般のことだと思っています。そして、人のいるところで行われた行為で、人に影響を与えないものなど何もありません。この実験室では、そうした、行為、振る舞いとしてのパフォーマンスが人に対して与える影響ということを前提として、何かを見せることが目的ではなく、それは見る人と見られる人がいてそこに何かが起こるのですから、その間のことを探求し味わいます。見る人も、見られる人も、どちらも主ではありませんし、あるいは、どちらも主であると言えます。これらのことは、上に書いた表現についてのことと、基本、同類の見立てです。
【からだを見合う実験室】は、どこでどなたが開催していただいてもいいなと思っています。津々浦々(古川さん談)、開催されて行くと面白いかなと思います。自分で独占したい企画など、何もありません。
以下に、今回の【からだを見合う実験室】の3人の世話人の所見を載せます。
「からだを見合う実験室」について
所見 ... 1 古川友紀
文字通り、一人一人の体のありようや動きを観察したり、それに対して言葉や体でフィードバックしたりする実験室です。
三重で「間の会」という場作りをしている西脇秀典さんと、東京のダンサー大崎晃伸さんと、古川による共同開催です。(といっても世話人のようなものです。)
これまで、それぞれの拠点でやってきたのですが、今回、関西で初開催してみることになりました。
5時間かけてゆるゆるとやります。
所見 ... 2 大崎晃伸
動いたり、動かなかったりしながら、お互いの身体を見合い、感想を言葉にしてみる会です。普段から踊っていることや、何か表現活動をやっていることは、参加の条件ではありません。身体を見ること、それを言葉にしてみることに興味がある方であれば、どなたでもご参加ください。
ただ、お互いに体を見合うことが目的の1つですので、ご自身の体を提示することに積極的な参加を望みます。動いても、動かず、ただ存在するだけでもよいと思います。
参加者のみなさんと話し合いながら進めていきたいと思います。
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この実験室は、これまでに三重県の津で2回、東京で1回開催しました。その経験を経て、私が考えていることを追記します。
津での開催時には、人が場に存在したり動いたりする時間と、見えたものについて話す時間の境界があいまいでした。話しているのだけど、まだその人の身体や空間を味わっているような、あわいのような時間が入り込んでいて、そこで見えたものもたくさんありました。
立っていたり、動いているときだけでなく、話しているその人の身体も見ること。その人の身体を見て、言葉にすることは原理として保持しつつ、立つ時間がオンで、感想を話す時間がオフというように時間を切り分けるのではなく、実験室の5時間のあいだ、流れる時間やそこにある身体を味わう、ということもやってみたく思います。
そういったあいまいなあわいの時間がどのように出現するか、その理屈ややり方はわかりませんし、そういった時間が再び出現するかもわかりません。また、その都度集まってくださる人たちによって、時間や空間は変わっていくはずです。
ただ、私自身の心づもりとして、時間を切り分けたり、モードを変えたりせずに、流れるすべての時間を分け隔てなく味わい、触れていく姿勢も持っていけたらと思っています。
所見 ... 3 西脇秀典
からだや存在は、恐らく、技や術は元より、個性とか自己とか自我とか、その人らしさなどより、もっともっと豊穣で多層的なものなのではないかと思います。
その不可思議に触れたいのです。
互いに見合って、言葉を交わし合い、そうした不可思議の現れる瞬間に立ち合いたいと思います。
この実験室は、恐らく、公演でもライヴでもショーでもワークショップでもレッスンでもリハーサルでもジャムセッションでもなく、多分それらとは違った別の、人と人との、やり取り、関わり合いの、未知で真剣な遊びの形です。
誰かがリードするでも進行するでもありません。ファシリテートもナビゲートもしません。
互いに心置きなく実験いたしましょう。
改めて言うまでもないかもしれませんが、これらはこちらから見える景色に過ぎません。他の皆さんは、何を見ているのか、何を面白いと思うのか、その興味が尽きないからこそ、皆さんに呼びかけたいと思います。
更に、下に、この会の一回目を呼びかけた時に書いた文から、一部を、抜粋して、少し文言を加えて、再度掲載しておきます。
何かダンスやパフォーマンスをしなければならないということではありません。それぞれ、互いに、テーマを決めたり、決めなかったりして、立って、あるいは、座っても、寝転んでもいいですが、一定の時間、動いてみたり、動かなかったり、いたいようにいてみて、そのからだの様子とか、佇まいとか、見てみます。それで、何か感じたこととか、面白かったこととかを伝えあったり、こんなことしてみたらどうだろうかとかと提案してみたり、とにかく、何でも思いついたことをやってみよう、提案してみようという会です。それぞれ、人のどんな様子を面白いと思うのだろうか、人の様子を見る時に、どんなことを見ているのだろうか、そんなことに興味のある人で集まって、色々実験したいと思います。ダンスの経験とか、全く問いませんし、舞台に立つこととか、そういう経験も関係なく、こんなことに興味のある方、からだを動かしてみたい方でも、からだは全く動かないという方でも、何となくピンと来たら、どなたでもご参加可能です。
自分の振る舞いやからだは、どんな風に見えているものなのか、そういうことに関心のある方にも、ぜひ、ご参加いただきたいと思います。
ただ、積極的に、その場に関わってくれる方を募集します。
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2023年2月3日 間の会 西脇秀典
↑ 最初に津で開催した【からだを見合う実験室】の時の印象を古川さんがスケッチにしてくれました。
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