◆ 明日6月8日(水)は【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】です。◆

こんばんは。

明日は、予定通り、【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】を開催致します。

予定通りというのは、

私事ですが、

実は、昨日、父が高熱を出して緊急入院いたしました。

新型コロナですと、中止せねばならかなったでしょうけれど、

新型コロナは陰性でした。誤嚥性肺炎とのことです。

今の病院は、全く面会が出来ません。どういう様子かも全く分からないのですが、

今のところ重篤とは聞いておりませんし、こちらもどうしようもありません。

明日の詳細はこちらです。


◆ ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて

● 日時:2022年6月8日(水)13:30〜16:30

● 場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)


先週の土曜日は、【ごちゃまぜ 人間の会】でした。

予想以上にたくさんの方にお集まりいただき、また、遠方からもお越しいただき、

誠にありがとうございました。

「ごちゃまぜ」という名に相応しい場になったと思います。

途中、なかなか得難い瞬間があったと思います。


この【ごちゃまぜ 人間の会】は、継続ということになりました。

年内は、偶数月の第一日曜日に、同じ会場で開催いたします。


先のこの会の中で、「同調圧力」ということが話題になりました。

「同調圧力」というのは、確かによく語られますけれど、

実際のところ何なのでしょうね。

それは実体としてあるものなのでしょうか?

こうした、人が集まる場において、この「同調圧力」というものの正体、実体を探ってみるのも、よいのではないかと思います。

主催者側としては、どなたでもご参加ください、ということを、これ以上ないほど、強調しております。

しかし、複数の人が集まった場合に、どなたかが、ここは場違いだ、とか、何か他の人からある種の振る舞いや、言動を要求されているような感じで居心地悪いと感じたとしたら、それは、何故でしょうか?

呼びかけた者としては、そこに知り合い同士の人や、初めての人も含めて、

複数の人が集まったとしても、どなたでもいいのですから、一人一人の人と、そのまま対峙いたします。

そこで、場違いと感じさせるものがあるとしたら、それは何によってなのか、これは、探求する価値のあることだと思います。

「ごちゃまぜ 人間の会」も、その他の「間の会」もタイトルや、呼びかけ方や、会場が異なるものの、基本的には、同じことをやろうとしています。土曜日の前日夜に、Facebookの個人ページで、告知の配信をしましたが、その中で、わたしは「その人がどんな職業の人だとか、どんな地位に人だとか、そういうことも関係ないと思います。」ということを言っていますが、実際のところ、その場で、目の前の人とどう関わるのかということだけなので、そういう属性は関係ないですけれど、けれど、それは、その人の背負っておられるものであれば、全く無関係とも言えないでしょう。その場限り、目の前の人と対峙した場合、それは、その時しかありませんけれど、むしろ、その瞬間にも、その人がどうやって生きて来たのか、どういう成り行きでここに来たのかということも現れてくるのではないかと思います。

明日のは、会場がお寺ですし、お寺という場所が語り出すものもあるかと思います。

目の前の人とどう対峙するかということの中に、その人にまつわる人や、その人から浮かんでくる他の人の面影なども、どうしようもなく大切なものとしてあらわれてくるでしょう。

それらどれもないがしろにすることなく、どういられるでしょうか。

楽しみですね。

では、明日、お待ちしております。

以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2022年6月7日   間の会  西脇秀典

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