【間の会のお便り】 2020年12月17日を掲載します。
【間の会のお便り】2020年12月17日
みなさま、こんにちは。
随分、寒くなって来ました。
昼間の光と影も、夜の光と影も、同じ今頃の季節の、色々な時間に誘います。
お便りとしては今年最後になると思いますが、
来年の1月の分と合わせて、ご案内します。
一、一陽来復 冬至の間の会 第九 と まひをどり
日時:2020年12月21日(月)14:00頃~17:00頃(第九とまひをどりは15:00頃から)
場所:津市まん中広場 (雨天の場合は、別の場所か別の日に変更します。)
※ 市の広場なので、三重県のガイドラインに沿って行います。参加される方は、新型コロナ
ウィルスの感染対策と、その場で記帳だけお願いします。
二、月々の間の会
日時:2020年12月27日(日)13:30~16:30
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 2階集会室
三、月々の間の会
日時:2021年1月24日(日)13:30~16:30
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター2階集会室
◆ 11月の間の会は、脚を運んでいただいた参加者はいませんでしたが、少し早めに片付けられたので、いつもお世話になっている、贄崎防災コミュニティセンターの管理当番のおじさんたちとお話をする時間がありました。当番制なので、行ってみないと、どなたがみえるか分からないのですが、以前からお話を聞きたい感じはありながら、いつも慌ただしく、なかなかお話を伺う機会がありませんでした。
町内の方が、当番で管理されているのですが、少し話を伺っただけで、みるみる、贄崎の景色が鮮やかにあらわれて来ます。
実は、贄崎は、江戸時代、主に藤堂藩だった旧津市で、ここだけ紀州藩だったそうで、藤堂藩の方から入ってくる入り口には黒門があって、まだ、その名残が残っていたということ。
その昔は遊郭もあって、一人のおじさんのおばあさんは、遊女の髪を結っていたのだそうです。
今は車の走る近鉄道路と呼ばれている道は、昔は電車が走っていて、その黒門跡のそばが駅だったそうで、今はもう朽ちてしまった大きな旅館があって、各地から修学旅行にくるこどもたちで賑わったそうです。
最近、関連の本なども発売されて、母や叔母とも話をすることがありましたが、終戦から10年目の年に、贄崎から北に1㎞から2㎞くらいの中河原海岸で、水泳の授業中だった橋北中学校の生徒が36人も亡くなられた水難事故がありました。
お一人の方は、その同じ時間に贄崎で、水泳の授業があって、事故の知らせを聞き、救出現場を見に行かれたのだそうで、その生々しい有様を、わずかの言葉ですが、語ってくださいました。
この地域は、不思議に惹かれるところですが、僅かの時間に、様々な時代、時間が重なって来て、息づいており、そこには様々な時間が行ったり来たりしてあるのだなと思います。
どうも時間とは、色々な時間が、同時にあるのではないかと思います。
いつか、月々の間の会とは別の場を設けても、この会場の町内の方のお話を聞く場を持ちたいなと思います。
今年は、月々の間の会が終わってから、真っ暗になるまで、贄崎の海岸で立ち話をするということが何度かありました。
かなたに薄っすらみえる、知多や渥美半島、伊勢湾の島々を見ながら。
ふと、高校の時の校歌の4番が浮かんで来ました。
贄崎に来て沖を見る
かの島山に泳ぎゆき
泳ぎかへせし人ありき
吾等もかくは鍛へなん
俳人の山口誓子さんの詞、
「海ゆかば」などで有名な信時潔さんの曲です。
はるかかなたにしか見えない沖の島山ですが、
どんなスケールだったのだろうと思います。
◆ もう来週になってしまいますが、冬至の日に、まん中広場で、間の会と、ベートーヴェンの第九交響曲を置いてみて、まひをどりを行います。
とても冷えると思いますが、今年の暮れ、どうしても第九交響曲を置いてみたいと思いました。
昨日がベートーヴェンの生誕250年の誕生日でしたが、特にそれと関係があるのかどうかわかりません。
今年のある時期から、友人の大切な方が、第九が初めて日本で演奏された徳島の板東俘虜収容所がある、板東にご縁があった話や、また、別の友人のお母様が、第九の合唱に参加されていた話を伺ったりして、時々、第九のことを考えていました。今年は、このような時世ですから、都会では、いくつかのプロの団体などが暮れの第九演奏会を実行されるようですが、残念ながら、三重県では、演奏会はないようです。
今年は、高校の時に、合唱音楽を通じて知り合った、先輩で合唱音楽運動の指導者をされていた方が6月に亡くなられ、それは今もどうも言葉に出来ないことです。わたし自身は、今は全く合唱活動を行うようなことはありませんが、常に身近にあったような合唱のある風景が少し遠くに感じられ、合唱そのものは歌うことなのでしょうけれど、地元で多くの友人が行っていた合唱活動の景色を見ないことは、寂しく感じられます。それは指導者の方が亡くなられたことではなく、コロナの影響なのでしょうけれど、どうもそれは切り離して考えられないように感じています。合唱活動と第九はまた少し違うものですが、「合唱付き」あるいは「合唱」というタイトルからも、合唱活動抜きに、第九はありません。高校の時の校歌も、その当時は合唱活動をしていたからこそ、浮かんでくるのかもしれません。
第九という曲は、なんなのだろうと、常々思います。
ベートーヴェンという人の、思想を信仰と人格と思考と、その全存在のあらわれでもあるのだろうし、時代の精神でもあるのだろうし、多くの人によって、演奏し、歌い継がれて来たものでもあるだろうし、また、年末の、ある、音の風景でもあるのだろうと思います。
高校の時、もう亡くなった友人らと、合唱ではなく、第九の隠し芸みたいなことをやった時の面影や声も浮かんで来ます。
大戦中のこの国では、出陣学徒の壮行のため、第九が演奏され、その後、学徒たちは、海ゆかばを歌って出征して行ったそうです。終戦の直前まで第九は演奏され、戦争が終わると、また、新しい時代を祝うかのように第九が演奏されたと言います。
世界中が大戦だった時、ドイツのナチスは、盛んに第九を演奏して、また、ナチスと戦っていた、他の諸国でも第九は演奏されていたようです。(しかし、戦時下の連合国側での演奏は、ごく一部しか録音も残っていないので、あまり演奏されなかったのかもしれません。第九に限らずベートーヴェンの他の曲もです。例えば、ユダヤ人亡命者のブルーノ・ワルターさんが指揮した、1944年3月19日のニューヨークフィルによる第九の演奏がかつて発売されていたことがあるようですが、どんな演奏だったのか聴いてみたいです。)
東西冷戦の終結を祝う催しでも、東日本大震災の犠牲者を追悼する催しでも演奏されました。
この国では、戦後、教科書にも載って、唱歌としても歌われました。
わたしは、この曲が特に好きというわけでもないのですが、それでも大きな存在感としてあって、曲自体は何をあらわしているのか、分からない部分も大きいですが、しかしまた、多くの人の面影が浮かぶ曲でもあります。
多くの人にとっては、歌う曲かもしれないし、音の景色かもしれませんが、そんな中、昔は、市役所があった、あの、まん中広場のような街のまん中で、録音音楽の第九を置いてみることに、一抹の躊躇はあります。合唱活動そのものが、思うように行えない、コロナの影響下で、録音音楽としての第九は、どんなものとしてあらわれるのか、危惧もあります。
これは聴いていたわけではなく、通りがかっただけなのですが、まん中広場で、先に触れた高校の先輩が指揮をされて、昔の懐かしい顔ぶれが合唱している光景もう浮かんできます。
大きな存在感としてあっても、よく分からない曲なので、録音を流すことへのためらいから、この何ヶ月か、ともかく、聴けるだけの第九のCDを聴いてみようと、第九お百度参りのような、第九札所巡りのようなことを、ひたすら続けています。これは多分、まひをどりを実行したら、終いではなくて、続いていくことのように感じています。
当日まで、いや、多分、当日も揺れ動くと思いますが、やる予定です。
第九の全4楽章全てのつもりです。60分から70分くらいかかりますが、この間、この曲と共に居てみたいと思います。この曲と、この街と、その場にいる皆さんと、その場にいない皆さんとの間に居続けます。
とても寒いと思いますが、踊りたい方は、踊ってください。口ずさみたい方は、歌ってください。
◆ 昨年、間の会で上映会を行った映画『息の跡』の小森はるか監督による新作『空に聞く』が、現在、東京、名古屋、大阪、京都の映画館で公開中です。今週末からは呉市でも上映が始まるそうです。
わたしは、この新作を、これまでに、3回観ました。
3回目を観るときにようやくやや冷静に、映像と音声を辿って観ることができたように思います。
あくまでも個人的な体験なのかもしれませんが、『息の跡』は、映画から観られているように感じました。そして、『空に聞く』は映画から聞かれているとも感じるのです。
それは、小森さんや、作品の意図や伝えたかったこととは違うのかもしれませんが、わたしは、今回、『空に聞く』を観て、この映画に描かれたことだけでなく、もう止めどなく、様々な記憶や、面影が溢れて来ます。
映画は、元々、録音技術による音声とは別に、無声の、観るものとして生まれましたが、この映画のように、見事に聞く時空があらわれている映画に出会った驚きは計り知れなく大きいものです。聞く時空を辿りながら、聞かれるわたしが辿られて行きます。
『息の跡』の上映会の時は、後に、座談会を設けて、本当によかったなと思うのですが、この『空に聞く』も、出来れば、観た人と語り合う場の欲しい映画だと思います。
今、上映されているお近くの方以外の皆さんに、なかなか名古屋や大阪や京都などに映画を観に行ってとは言えないですが、ご紹介はしておきたいと思います。確かに、これは、来年の東日本大震災の10年目の日に向けて観るのにはふさわしいと思いますが、しかし、そうした節目に関わらず、これから、何年も、上映し続けて行くような映画だと思います。まだ現時点で、バリアフリー版が出来たという話は聞いていないのですが、そういうことも含めて、多くの人で、育て、伝え、運んで行く映画だろうと思います。また、きっと上映出来る日が来るのではないかと思っています。
◆ 新型コロナウィルスの感染流行の時代にあって、改めて、間の会を大切に行っていきたいと思います。今年も、たくさんのご縁があり、かけがえのない時間でした。
一度、オンライン開催を企画して中止になりましたが、今後、もし、より集まることが難しくなって行くようなことがあっても、定員を決めて、より少人数にして行うことや、屋外の会場に集うこと、あるいは、どこかを歩きながらの開催もよいのではないかと思います。
現時点で来年1月に決まっているのは、一回だけですが、月々の間の会以外に、出来るだけ、色々な機会を持ちたいと、準備しているところです。
改めて、生きている人、亡くなった人、ものや、光や、風土、それらの間の生きて行くのだと思います。
考えが違う、合わない人と、どうしても関わることをやめてしまいたくはありません。
ある人の生き方や認識より、自分の方が、少しはよく見えていて、マシではないかと思うようなことがあれば、それは十分に警戒に値します。
最近、また、ふと、役という言葉について、思いを馳せていました。
役という字は、鉾を持って行くことをあらわしているという解釈をよく見かけます。
真相は分かりませんが、戦争に行くことをあらわしていたのではないかと思います。
やく、とも、えき、とも言います。
戦争に行くことだから忌避すべき、とも思いせん。
それはどちらでもいいのですが、間の会では、役に立つ人も、役に立たない人も、役を果たす人も、役を降りた人も、役を終えた人も、どなたでもお迎えいたします。
そういう場が向かない人もあるかもしれません。それでも、お迎えいたします。
命の遊び、魂の遊びであり、道楽です。
命も、魂も、誰かのものになるわけではありません。誰も所有できないし、だから、それこそが、命であり、魂であるのです。生きている人だけのものでもありません。
第九の歌詞とは異なりますが。
それらはやり取りし、受け渡し、していくものです。
真剣勝負ではあるのですが、それは堅苦しいものでもありません。
キャッチボールと同じくらい、ごく当たり前の遊びです。
しかし、わたしは、こどもの頃、割とキャッチボールが苦手だったことを思い出しています。
ともかく、球筋を辿ることをしないと成り立たないけれど、改めて、そこに、生きるのだなと思います。
もちろん、キャッチボールというのは喩えであって、間の会は、キャッチボールの出来る人だけの道ではありません。
これらは、日常生活と地続きかもしれませんが、異界かもしれません。
どうぞ、遊んで行ってください。
それでは、みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
●メール:aidanokai2015☆gmail.com (☆を@に変えてください。) 間の会 西脇秀典です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2020年12月17日 間の会 西脇秀典
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