明日の『一陽来復 冬至の間の会 第九 と ひとり まひをどり』ご案内
明日、以下の催しを行います。
一陽来復 冬至の間の会 第九 と ひとり まひをどり
日時:2020年12月21日(月)14:00頃~17:00頃(第九とまひをどりは15:00頃から)
場所:津市まん中広場 (雨天の場合は、別の場所か別の日に変更します。)
※ 市の広場なので、三重県のガイドラインに沿って行います。参加される方は、新型コロナウィルスの感染対策と、その場で記帳だけお願いします。
以下に、【間の会のお便り】2020年12月17日から、この催しに関する箇所を抜き出して、掲載いたします。
◆ もう来週(明日)になってしまいますが、冬至の日に、まん中広場で、間の会と、ベートーヴェンの第九交響曲を置いてみて、ひとり まひをどりを行います。
とても冷えると思いますが、今年の暮れ、どうしても第九交響曲を置いてみたいと思いました。
昨日がベートーヴェンの生誕250年の誕生日でしたが、特にそれと関係があるのかどうかわかりません。
今年のある時期から、友人の大切な方が、第九が初めて日本で演奏された徳島の板東俘虜収容所がある、板東にご縁があった話や、また、別の友人のお母様が、第九の合唱に参加されていた話を伺ったりして、時々、第九のことを考えていました。今年は、このような時世ですから、都会では、いくつかのプロの団体などが暮れの第九演奏会を実行されるようですが、残念ながら、三重県では、演奏会はないようです。
今年は、高校の時に、合唱音楽を通じて知り合った、先輩で合唱音楽運動の指導者をされていた方が6月に亡くなられ、それは今もどうも言葉に出来ないことです。わたし自身は、今は全く合唱活動を行うようなことはありませんが、常に身近にあったような合唱のある風景が少し遠くに感じられ、合唱そのものは歌うことなのでしょうけれど、地元で多くの友人が行っていた合唱活動の景色を見ないことは、寂しく感じられます。それは指導者の方が亡くなられたことではなく、コロナの影響なのでしょうけれど、どうもそれは切り離して考えられないように感じています。合唱活動と第九はまた少し違うものですが、「合唱付き」あるいは「合唱」というタイトルからも、合唱活動抜きに、第九はありません。高校の時の校歌も、その当時は合唱活動をしていたからこそ、浮かんでくるのかもしれません。
第九という曲は、なんなのだろうと、常々思います。
ベートーヴェンという人の、思想を信仰と人格と思考と、その全存在のあらわれでもあるのだろうし、時代の精神でもあるのだろうし、多くの人によって、演奏し、歌い継がれて来たものでもあるだろうし、また、年末の、ある、音の風景でもあるのだろうと思います。
高校の時、もう亡くなった友人らと、合唱ではなく、第九の隠し芸みたいなことをやった時の面影や声も浮かんで来ます。
大戦中のこの国では、出陣学徒の壮行のため、第九が演奏され、その後、学徒たちは、海ゆかばを歌って出征して行ったそうです。終戦の直前まで第九は演奏され、戦争が終わると、また、新しい時代を祝うかのように第九が演奏されたと言います。
世界中が大戦だった時、ドイツのナチスは、盛んに第九を演奏して、また、ナチスと戦っていた、他の諸国でも第九は演奏されていたようです。(しかし、戦時下の連合国側での演奏は、ごく一部しか録音も残っていないので、あまり演奏されなかったのかもしれません。第九に限らずベートーヴェンの他の曲もです。例えば、ユダヤ人亡命者のブルーノ・ワルターさんが指揮した、1944年3月19日のニューヨークフィルによる第九の演奏がかつて発売されていたことがあるようですが、どんな演奏だったのか聴いてみたいです。)
東西冷戦の終結を祝う催しでも、東日本大震災の犠牲者を追悼する催しでも演奏されました。
この国では、戦後、教科書にも載って、唱歌としても歌われました。
わたしは、この曲が特に好きというわけでもないのですが、それでも大きな存在感としてあって、曲自体は何をあらわしているのか、分からない部分も大きいですが、しかしまた、多くの人の面影が浮かぶ曲でもあります。
多くの人にとっては、歌う曲かもしれないし、音の景色かもしれませんが、そんな中、昔は、市役所があった、あの、まん中広場のような街のまん中で、録音音楽の第九を置いてみることに、一抹の躊躇はあります。合唱活動そのものが、思うように行えない、コロナの影響下で、録音音楽としての第九は、どんなものとしてあらわれるのか、危惧もあります。
これは聴いていたわけではなく、通りがかっただけなのですが、まん中広場で、先に触れた高校の先輩が指揮をされて、昔の懐かしい顔ぶれが合唱している光景もう浮かんできます。
大きな存在感としてあっても、よく分からない曲なので、録音を流すことへのためらいから、この何ヶ月か、ともかく、聴けるだけの第九のCDを聴いてみようと、第九お百度参りのような、第九札所巡りのようなことを、ひたすら続けています。これは多分、まひをどりを実行したら、終いではなくて、続いていくことのように感じています。
当日まで、いや、多分、当日も揺れ動くと思いますが、やる予定です。
第九の全4楽章全てのつもりです。60分から70分くらいかかりますが、この間、この曲と共に居てみたいと思います。この曲と、この街と、その場にいる皆さんと、その場にいない皆さんとの間に居続けます。
とても寒いと思いますが、踊りたい方は、踊ってください。口ずさみたい方は、歌ってください。
くれぐれも、新型コロナウィルス感染予防対策と、防寒対策をご協力、よろしくお願いいたします。
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