【間の会のお便り】2020年4月23日を掲載します。

【間の会のお便り】2020年4月23日

みなさま、こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか。

おひとり、おひとり、おかれている状況、思い、それぞれ異なることと思います。

当初、4月からも引き続き、同じ場所で、【月々の間の会】は開く予定で、第4週の日曜日に場所を借りていましたが、このまま開催するかどうか、告知も迷っていました。

会場は風通しがよく十分に距離も取れる広さなのですが、会場を開けると、その会場の地域の人に、管理人として、1日会場にいてもらわなければならず、それは、直接地域の人と相談出来る仕組みではなく、市役所の人を通して地域の人に連絡することになっています。あくまでも市の施設です。市が貸すことになれば、地域の人は会場を開けなければいけません。一番気になっていたのは、そこですが、昨日、正式に、今週から、5月11日まで市のこのような施設が閉鎖になることが決定しました。その他のことも考えていましたが、ひとまず、4月の【月々の間の会】は行いません。

5月24日(日)も予約してあります。状況によりけりですが、行えそうなら、また改めてご連絡いたします。

また、少し候補の場所として、市役所北のお城西公園のお城よりに、屋外ですが、少し高くなったところに屋根のある東屋があります。スロープでもアクセスできます。

約2メートル四方に、一つずつ、石の椅子が設置されています。この4席が、離れてふた組あります。距離を保ちながら、4名ほどの集まりをするには適した場所かと思います。広々とした公園の隅にあり、公園で歩いたり、からだを動かしたりも出来ます。

当初の【月々の間の会】の予定だった4月26日を緊急に場所だけ変更するのは、やや時間が足りないので、4月28日(火)15:00から18:00くらいの間に、ここで【間の会】を試しに開催してみようと思います。わたしは、この東屋または、公園内におります。ここで、少し普段より距離を置いた小さな集まりで、どういられるのか、試してみたいと思います。椅子や、触る可能性のあるものへの消毒液は準備します。熱がある方や、体調が思わしくない方は、お控えください。わたしや同居の家族が、それに該当する場合も、行きません。緊急にご連絡出来ない場合もあるので、気になる方は、お電話かメールにてご確認ください。

また、オンラインでの【間の会】も試してみてもいいのではないかと思っています。

考えられるものとして、ZOOM、LINE、 Skypeなどのアプリが考えられます。

それぞれ、制約があります。ZOOMですと、3名以上は40分までとなります。

LINEやSkypeだと、個人のアカウントを教えていただかなくてはなりません。また、LINEは映像付きですと、スマートフォンからは4人までの参加となります。音声のみですと多くの人が参加出来ますが、いずれも個人アカウントが他の人にも公開されます。

こららは、いずれにせよ、パソコンかスマートフォン、アンドロイド携帯などを使える方限定となりますが、ご興味のある方、このアプリだったらやってみたいという方は、メールやお電話などで、西脇までお問い合わせください。

また、わたしの方からも、特定のアプリを使ってオンラインの【間の会】を企画、告知させていただくかもしれません。その場合、参加は事前申し込みが必要となります。

以下、少しだけ思うことを。

未知のことは、多かれ少なかれ、不安です。

しかし、日常もほとんど未知のことだらけです。

というか、何となく、繰り返していたり、分かっているものとして、先のことを考えがちですが、実際のところ、日常も未知の連続です。

わたしの同居している父は、いわゆる認知症と言われるものが日々進行していて、自分が出来ると思っていたことが出来ない時、とても動揺したり、不安な様子をあらわにしたり、取り乱したりしますが、新聞も読めなくなり、TVで言っていることもほぼ何を言っているか分からないと言っているので、今、世の中で何が起こっているか全く知らない様子です。わたしが、日々、刻々と報道されることに、色々どう対応しようか、どう考えようかと戸惑っているのと対象的に、日々の報道などによって、様子が変わることはありません。他の人との接触が全くないこともあるでしょう。

その様子に教えられることがあります。

今も、空や、風や、カラスの声や飛ぶ姿は、普段通り、とはいえ、かけがえのない1日の姿です。

でも、報道やインターネットやTVなどが悪いという風にも思いません。

面白いもので、わたしは新型コロナウイルスとかCOVID-19というものを見たこともないし、まだ感じがこともありませんが、これらを、人間は発見して名前をつけました。

名前をつけなければ、果たして、それらは、「ある」のでしょうか?

インターネットもTVも新聞も本も、人間が作ったものです。国や制度や法律も、そして、医学も科学も人間が作ったものです。

よく、自然と人間という風に対比して語られることが多いですが、人間自体、自然なのか宇宙なのかの一部で、人間と自然を区別するという概念を作ったのも人間です。自然という概念がなければ、自然と人間が対立することもなかったかもしれません。宇宙ももしかしたら概念かもしれません。

ただ、人間は、畏れ、恐れ、ということを、どこかコントロールしたいところがあるのかもしれません。「おそれる」こと「不安な」ことを悪いことと思いがちです。

死ぬことも、病むことも、生きることも、分からないがゆえに、恐れ、畏れているのですが、おそれと共にいることに、少し堪えられないと感じる時があります。

社会の秩序が乱れたり、不公正がまかり通ったりすることも、おそれを感じます。

見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、すべて、そのまま、その通りなのですが、それによってからだは反応します。そのからだの反応を、また、どうにかしたいとも思ってしまいます。

からだが感じることと、それに対する反応や変化とできればそのままでいたいです。

こうでなければいけないと思い込んでいると、感じることも、それに対する反応や変化をなかったことにしてしまいます。あるものをなかったものにすると、ただあるものをおそれるのとは、違う苦しみが生まれてきます。

雲をつかむようなことを言っていますが、新型コロナウイルスに関する多くの人々の知見や、それによって、起こる社会の混乱や、それに対する対策を蔑ろにしたいわけではありません。

知ることも、調べることも、学ぶことも、そのままに行いたいものです。

おそろしくも楽しいことです。

目の前の世界と、見たこともない映像や文字の中の世界が重なってきます。

まだ見たことのない景色と、目の前の景色と、懐かしい景色が重なってきます。

これまで会ったすべての人たちの声や顔、仕草が浮かんできます。

その人たちの背後に、更に多くの人の気配が浮かびます。

関わりのあった動物たちが浮かびます。

大切にしてきたもの、大切とは思ってなかったものたちが浮かんできます。

皆、あるものは、あることにおいて、等しく、不十分ではなく、完璧です。

そこに、優劣、善悪をつけるのが人間の性分です。

法律や制度、ルールは、あるものではなく、決まりです。

決まりは、変えることが出来ます。

では、関係は、変えることが出来るのでしょうか。それは、多分わたしには分かり得ないことです。

何かと何かの関係は、どちらかがどちらかの都合で変えられるものではないのではないかと思います。「あいだ」はそれだけでは成立しない何かです。

優劣、善悪に縛られないで生きたいと思うことがあります。

それも、わたしの執着かもしれません。

今、他の多くの人たちが調べ研究し、出来るだけ、人と会わないよう、外出を控えるように言われて、わたしも概ねそうしているのは、たくさんの人のことが浮かんでくるからです。人を思うことを行動の基盤に出来ることをありがたく思います。

しかし、あるあり方だけが正しいと思ってしまうようだったら、疑ってみてもいいかもしれません。

これは、人を疑うのではなく、自分を疑うことです。

「おそれ」とともにある時、自信のない考え方は、一つのよすがにはなるように思います。

未知のものへ向かっていく時、わたしにとって、頼りになるのは、自信のない考え方、自分を疑う力です。それは、もしかしたら、希望と呼ばれているものかもしれません。

自分にとって、間の会や踊りのようなものは未知のものです。

待てよ、と、今か?という見切り発車のはざまにあって、理屈でも感情でもなく、動かざるを得ないこと、止まらざるを得ないこと、それが、自信のない考え方、自分を疑う力によって、もたらされる頼りになることです。自分の核であり、人が人やあるものらと共にある土台です。

これは知識や知見を蔑ろにすることとも違います。人の意見にただ従うこととも全く違うことです。

【間の会】などという、わたしの考えたものなど、真っ先に疑ってしかるべきです。

長くなりました。今日はここでやめます。

またお会いしましょう。どうか御身大切に。死ぬまで、生きて行きましょう。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020年4月23日 間の会 西脇秀典


◆追伸


昨日、PCからのお便り発送を完了してから、もう少し、追伸したいことが出てきて、今日、追伸の形で再びお送りしたものを、携帯から送信させていただく方には、下記に付け加えます。少し長くなりますが、よろしくお願いいたします。

言葉足らずを補うわけではありませんが、少しだけ追伸させてください。

お送りした【間の会のお便り】で、

父のことを「日々の報道などによって、様子が変わることはありません。」

と書きました。

実は、昨日、夕食の前、わたしは、父に、これまでも何度か説明したことはあったのですが、もう一度、今、世界で起こっていることや、新型コロナウイルスのことを、もう少し分かりやすいように伝えてみました。俳優・タレントの岡江久美子さんの訃報などで、少々、TVが落ち着かない感じであったからかもしれません。

そうしたら、この時、初めて父は、怯えるようになりました。少し取り乱した感じになりましたが、食卓に置いてある、新聞の朝刊と夕刊を見て、「新聞の朝刊と夕刊が置いてある」ということに、とても動揺して、「大丈夫か」などとうろたえていました。

話がよく分からない面もありましたが、新聞を見ると感染すると思ったようでした。

日頃から、TVの中の出来事と、チラシや新聞の文字と現実が区別出来なくなる時があります。

落ち着いて夕飯を食べてもらえるようになるまで時間がかかりましたし、わたしも、余計な不安を与えてしまったかなとも思いましたが、この父の様子は、科学的でも一般常識的でもないものの、何か、日々わたしが感じる不安の実態と、実はそんなに遠くないようにも思いました。

夕食後、母が片付けなどで忙しく立ち働き出して、わたしは、お便りの発想作業をリビングの端の方でやっておりました。

父は、居眠りしながら食卓に座っていましたが、母が、忙しく立ち働きながら、「次から次へとやることがあって忙しいわ。これが私の仕事やからね。お父さんの仕事は何?」と少し冗談交じりに、父に話しかけました。

父は、ボソボソっと小さい声でつぶやきましたが、わたしには聞こえませんでした。

「なんて言ったん?」とわたしが父にたずねると、父は、更に声を落として小さく答えました。

「何て?」と、母に尋ねました。

母には聞こえたようで、「お父さんの仕事は、ふるさとに帰ることやって」

「え?」「あんまりいい話じゃないから、人に聞かれるといかんから大きな声では言えないって」

とのことでした。もちろん、ここには3人しかいないのですが。

「仕事はふるさとに帰ること」

この言葉、忘れられません。

とても大事な真実を本当に誰にも聞こえないように、語ってくれたように思います。

一晩明けて、父は、もうコロナウイルスのことは忘れています。

わたしは、わたしで、今も、次々に発表される論文や、記事を読んで、今、わたしは、これから、どうして行ったらいいか考え続けることをやめるつもりはありません。ウイルスのことも社会のことも。

開き直ったり、安易な行動をとることも慎みたいと思っています。

それはそれで、わたしに出来る範囲のことはやりたいです。

しかし、考えすぎて、情報量が多過ぎて、少し頭が整理出来ない時も日々あります。

調べ始めるとキリがなかったり、家にいて、色々なことをやっていると、つい寒い中遅くまで熱中してしまったりして、今日も、頭が痛く、風邪気味です。

それはちょっと気をつけないといけないなと思います。

無理なく、なるべく自然体で。

自然とは何か、よく分からない部分がありますが、自然体というのは、なんとなくあるかなと思います。

昨日、お送りしたお便りは、何が言いたいのか分かりにくい面があったかもしれませんが、今日、少し、付け加えたくなったので、追伸させていただきました。

では、みなさま、どうぞお達者で。

間の会 西脇秀典

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