「映画『息の跡』上映会と小森はるか監督と共に座る座談会」終了しました。

「映画『息の跡』上映会と小森はるか監督と共に座る座談会」は、無事に終了致しました。

ご参加いただいた皆さん、遠くから遥々お越しくださった小森監督、当日や準備のスタッフとして一緒に上映会を作り上げてくださった皆さん、要約筆記及び、手話通訳に来てくださった皆さん、宣伝にご協力いただいた皆さん、気にかけてくださった皆さん、会場や機材、資材を貸してくださった団体、会社各位、そして、全くの初心者の細かい質問に丁寧にお答えいただきながらサポートしていただいた配給会社の東風様、誠にありがとうございました。

多分、どれ一つ欠けても成立しなかったような、ギリギリのバランスの上に成立していたように思います。

全く、こちら側の都合に過ぎないのですが、お礼のご挨拶が遅れて申し訳ありません。

催しそのものは、14日に無事成立したのですが、大事なお借りしたものをお返ししたり、様々な残務処理が終わらないと、なかなか終わった感じが致しませんでした。

まだ、完全に事務処理が終了した訳ではありませんが、少しずつ終わった感じがして来ております。

お一人お一人の感じられたものは分かりませんが、とてもいい時間だったように思います。

小学4年生から、80代の方まで、本当に幅広い層の方にお集まりいただけたと思います。

書いていただいたアンケートや、個々に寄せていただいた感想からも、非常に、何かが伝わった手応えのようなものを感じます。

改めて、作品の力も感じることが出来ました。

座談会では、少し時間が足りなかったかもしれませんが、非常に濃密なやりとりが交わされたように思います。後1時間くらいあれば、もう少し言葉の共有出来ていない部分を切り分けて行けたかもしれませんが、あの時間で終わったことで、それぞれ余韻もかなりあったのではないかと思います。

監督のトークでも、貴重なお話を聞くことが出来ました。

監督からのご指摘で気付いたのですが、映像と音声にズレがあったようで、私は、事前の映写チェックでも、これに気づかず、上映中も、あまり頭を上げられない場所にいたので、映像の方は、じっくり見られず、主に音声の方ばかりモニターしていましたが、ズレてが生じていたことに気付かなくて、申し訳ないことをしました。制作としての大変さ、具体的な上映技術の大変さ、共に、痛いほど体験出来ました。

それと、映画のバリアフリー上映だけでなく、トークや座談会の情報保障のことについて、非常に詳しい方に当日関わっていただいたのですが、色々準備不足の部分があったようです。これは、後からたくさんアドヴァイスいただき、非常に勉強になりました。トークの際のマイクの調子が悪く、要約筆記の方には、ご苦労をおかけしてしまいました。

とは言え、実際に、要約筆記を必要とされる方にご参加いただけたことは、大変ありがたいことでした。

間の会で、こういった、映画の上映などを、今後するということは、今のところは考えていませんが、しかし、こうした力のある作品を観たいという、潜在的なニーズがあることは、非常に感じました。

分かりやすいメッセージを伝える作品ではないので、まずは観てもらうまでが大変だと思いましたが、観てもらえば伝わるものは、人によって差はありますが、ある程度あるだろうし、こういう場が、今、この町ではなかなかないのだということも、意識せざるを得ません。

一つの試みとして、色々なことが見えて来た集まりでした。

普段、間の会は、本当に少人数で集まる会として、月々、折々、行っておりますが、そこで行っていることとは、また別に、色々な可能性を感じさせるものがありました。

たくさん人が集まればいいとは思いませんが、色々な背景を持った人が集う、そこで、何かが伝わったり、共有出来たりするということは、やはりよいものだなと思います。非常に苦労も心配も多かった催しですが、当日は、ひたすら贅沢な時間を過ごさせてもらいました。

自分にとって、大きな「謎」の体験としてあった映画について、監督の言葉で色々と語られることを、聞くことが出来、また、座談会では、それについて、非常に熱を帯びた言葉が交わされて、自分で、この映画を観た体験というのが、一人では分からなかったことも、色々な人の言葉を聞いていると、とても重層的に、多義的に、しかし、よりはっきりとした輪郭を持って感じられて来ます。

翌日、小森監督の新作『空に聞く』をあいちトリエンナーレで観られたことも、また、全てが繋がって来るような大変重要な体験でした。

小森さんのやられている試みというか、実践ですね、その作品製作の態度は、この言葉が相応しいかどうか分かりませんが、自分には、極めて主観的な感覚に過ぎませんが、何か、いわゆるジャーナリズムとは対極にある何か、のようにも思えました。(それが、ある意味、ジャーナリズムの可能性を広げるものという見方も出来なくはないのでしょうが)

説明を極力排し、何が描けないのか、描かれていないのかということを、描いていくのは、私は、映画の持つ可能性に、何よりチャレンジしていく態度だと思えますし、人の想像力に賭ける、想像力を信じる態度でもあるでしょう。

なので、事実と思われるものを伝えるとか、情報を伝える、メッセージを伝えるのではなく、そこには、人と人がいる。そして、人と、幻として、影としての映画という事象との出会いがある。

まさに、間としての映画だとも思いました。

小森さんの向かわれている方向に、何らかの共有出来るものがあって、共振するものがあって、この催しが成立したのだろうと、改めて思います。

トークの時に、触れるのを忘れてしまいましたが、映画の中では、1611年の大津波の被害を実証しようとする場面がありますが、ここ津市は、1498年の明応の大地震で、壊滅的な被害を受けています。

1944年の東南海地震の被害も大きかったと伝わっていますし、伊勢湾台風の被害のことは、今でも多く語られます。

いつも、月々の間の会で利用している津市贄崎地区防災コミュニティセンターには、こうした歴史のごく小さな資料館があり、いつも思い出すのですが、明応の大地震のことは、ある程度記録には残っているものの、語られることは少ないですね。

あまりにも大昔のこととは言え、壊滅した歴史のあることは、何となく頭の片隅にはあってもいいようには思いました。

とは言え、今回のこの映画が、単に地震や災害についての映画というわけではないことは、観ていただけた方には、感じていただけたのではないかと思います。

また、今後、いただいたアンケートやメールなどでの感想などを参考に、この催しについては、少し、振り返ったまとめを行っていけたらと思います。


※この文章は、間の会FBページに掲載したものと、少し異なっています。

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