【間の会のお便り】
2019年8月号

こんにちは。間の会のお便りをお送りいたします。

台風10号は、もう10日くらい前に発生していたのに、じわじわじわじわと近づいてきて、どうもずっと天候の心配ばかりしていました。交通はかなり不便でしたが、皆さんは大きな被害を受けておられないでしょうか?被害を受けられた方には、お見舞いを申し上げます。今年の8月15日は、丸一日、台風のことを意識していました。そして、このお便りをもうかなり前から書こうと思っていたのに、今日の8月15日が終わるまで、結局一文字も書けませんでした。

まず、今のところ、決まっている間の会の集まりを、前回のような間違いのないように、時系列で表記します。


一、過ぎたるお盆会〜盆踊り、盆舞、献上。 

       日時:2019年8月18日(日)15:00~20:00(盆踊り、盆舞は18:00頃から)

  場所:津市まん中広場


二、月々の間の会

  日時:2019年8月25日(日)13:00~16:00

  場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 2階集会室


三、「映画『息の跡』上映会と小森はるか監督と共に座る座談会」  

     日時:2019年9月14日(土)

                  第一回上映 11:30〜、第二回上映 15:00〜、

     座談会 17:30〜19:30(上映会各回、座談会ともに有料。

     詳細は別紙チラシか下記リンク先参照)

   場所:津市市民活動センター会議室A、B(津センターパレス地下1階奥)


四、月々の間の会

  日時:2019年9月22日(日)13:00~16:00

  場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 2階集会室


◆ 三、のみ有料の催しです。他はいずれも、どなたでもご参加いただけます。会費の設定も特にありません。ご参加にあたって、不安なことや、気がかりなことがあれば、お気軽にご相談ください。(すぐに対応出来ることばかりではないと思いますし、何の専門性もありませんが、極力、文字通り、どなたでもご参加していただけるような場を目指します。参加者皆さんと共に考えていきます。)月々の間の会は、3時間の時間を設定してありますが、この3時間をその場に集った人、皆で過ごすということをやるのみで、特に決まりごとはありません。参加者の皆さんが、その場の当事者として、その時間を一緒に過ごすことをやっていけたらと思います。そこで起こることすべて、参加者全員による即興です。その時、その場に集まった人皆で、その場を作っていきます。

有料の催しである三、も出来るだけ希望者に参加していただけるよう考えて行きたいと思っています。参加したくても何らかの阻むものがあれば、ご相談ください。


◆ 六月と七月の間の会、及び『津久井やまゆり園事件を忘れない集会inみえ』にお集まりいただいた皆様、誠にありがとうございました。

改めて、人が集うということは、顔ぶれが変わろうが、場所が変わろうが、あるいは、同じ顔ぶれであろうが、まさに一期一会であるとの思いを新たにしています。


◆ また、初めて間の会のホームページやブログを開設しました。もしご覧になれる方は、よろしかったら、ご覧ください。こちらです。→ https://aidanokai.amebaownd.com

それぞれの集まりについて、ブログやFacebookに少し振り返りを書いたりもしていますが、このお便りでは、それは繰り返しません。


◆ 今回、お盆会の日程を決めることと、その案内を言葉にするのに、非常に難儀しました。

今年は、かなり以前からお盆会を8月15日に行いたいと思っていました。敗戦が国民に伝えられた日であり、月遅れ盆であり、満月であり、この満月の日は、太古暦では先祖を祀る満月祭でもあったと言われています。台風の見通しが、まさに、この日を直撃しようとするものだったので、迷いました。前倒しするのがよかったかもしれませんし、天候に左右されながらしかし、出来るだけその日にやるのも大事なことのように思えます。中止の判断も含めて。しかしながら、なかなか言葉にならないこともあって、先に延ばしました。

前回のお便りにも書きましたが、今年も津久井やまゆり園事件についての集会に賛同団体、実行委員、司会進行と、聞き手として関わらせていただきました。これは、事件が起こって1ヶ月くらい経った時に初めての集会を行い、今年で4回目でもありました。

しかし、今年は、この集会の開催を決めてから、川崎の登戸の殺傷事件が起こり、直後に、その事件に影響されたような事件も起こり、「やまゆり園事件」の集会だけが突出してしまうことに、微妙な違和感がありました。

登戸の事件のことでも、何かどうしても集まりたい感じがありましたが、やまゆり園事件と違って、被害者のことが報道されればされるほど、どう集まっていいか分からなくなってきました。

そこで、せめて、事件の被害者が亡くなられてから四十九日が過ぎてからにしようと思いました。

ところが、7月16日に、登戸の事件の四十九日がきて、ようやく、何らかの形で集まることを考え始めた矢先の7月18日に、京都アニメーションの放火殺人事件が起こり、何も身動きが取れなくなってしまいました。


大きく報道される事件ばかりでなく、このところ、毎日のように、痛ましい事件や事故が起こっています。

それらの亡くなった方々と、直接関わりがあったら、また違った体験としてあったでしょうけれど、報道などで触れることからもたらされる動揺や気持ちのざわつきとも、やはり日々付き合っていくことになります。生活に支障が出ないように忘れようとしていることもどうも不自然に感じられます。

色々なことが頭をよぎっていき、からだの様子にも影響を受けましたが、今、浮かんでくることは、殺された人、事故や災害で亡くなられた人、病気で亡くなられた人、自ら命を絶った人、様々な理由や原因で亡くなられた人々にとって、その亡くなられた、ということはどういうことであったのだろうかということです。


この時期になると、戦争で亡くなられた方(これも、戦闘、攻撃、飢餓、病気、様々な原因があるわけですが)のことが、多く語られます。

それらのことと、今日(こんにち)の、事件や事故、災害、病などで亡くなられた方と、何が違い、何が違わないのか。

わたくしが、どうも居心地悪く感じられるのは、例えば、戦争や事件、事故、災害で亡くなられた方に関して、何となく、それらの人たちが、ある集団として語られてしまう時です。

また、亡くなられた方の、気持ち、想いなどを、無念であるとか、悔しいであるとか、何らかの形で生きている人たちが、代弁してしまう時です。

亡くなった方の気持ちを代弁することは、亡くなった方を知る者にとっては、ごく自然な人情とは言えるかと思います。

しかし、それが、マスメディアやネットなどで、知らない人までもがどんどん代弁していくようになると、どうにも、いたたまれなくなってきます。

亡くなられた方とは、一体、何でしょうか?

「死」と亡くなられた人は、全く別のものです。「死」が生きている人のものでないように。

わたくしは、そのように思います。

しかし、亡くなられた人に、多くの、今生きている人の「死」への思いが投影されます。

時に、それは、生きている人の節度を超えているように思えます。

今の世の中は、どうしてか分からないですが、生きている人中心の世の中に思えます。

しかし、この世は、あの世なしにはあり得ないし、生きている人ばかりで出来ているわけではありません。


今すでに亡くなられた人たちは、皆、祖先です。

これから生まれてくる人たちは、皆、子孫です。

地縁、血縁にかかわらず。


間の会という活動は、人と人が会って、集って、同じ時空を共有することを行なっていますが、これに関して、今まで、はっきり言えてこなかったのですが、それは、生身の生きている人同士が会う、集うということばかりではなく、そこにおいて、すでに亡くなられた方、これから生まれてくる方も、共に居るということです。

これは、何やら神秘的な、迷信的な考え方と思われる可能性もありますが、わたくしはむしろ、合理的で、近代的な考え方が、切り捨て過ぎてしまったものと思わざるを得ません。

供養とか慰霊とか、どうしたらいいのかよく分からない面がありますが、何とか、共にいるということはやっていけないだろうかと、思います。

月々の間の会においても、このような考え方がそぐうものだと思いますが、やはり、お盆や、お彼岸の会は、とても大切なものとして、欠かすことが出来ません。

今年、ご近親の方の初盆を迎えられる方も、よろしければご一緒しませんか?


◆「今、現に若い娘たちが捲きあげているこの埃は、かつてこの世にあった人たちだった。」

小泉八雲 著、仙北谷晃一 訳『盆踊り』より


今年は、どのようになるか分かりませんが、盆踊り、盆舞も献上したいと思います。

よろしければ、ご一緒にどうぞ。


盆踊りは、必ずしも大勢で行うものだとは考えていません。

そういう素地があればそうすればいいという程度のものではないでしょうか。

また、盆踊りが、夏の人々の交流のためにあるようになったのは、またそれはそれで、そういう風に変質してきたのだろうと思います。

すでに亡くなった人々の中にも、大勢の人の輪を見てきた人もいるでしょうし、そういうところから、むしろ、追いやられた人もいたかもしれません。

盆踊りは、わたくしの一個のいのちのものでなく、時間にも場所にも縛られるわけでもなく、かといって、十把一絡げの集団のものでもないのではないでしょうか。

そこで出来ることが何なのか、全く分かりませんが、それを、太古と遥か未来に向けて、やっていくしかありません。


亡くなった人たちもまた、わたくしたちと同様、亡くなった人たちという集団ではなく、一人一人であり、その想いは千差万別、どなたのことも、およそ分かりようがないということから始めないと、何かボタンのかけ違いのようなことになってしまします。


◆ 9月に上映する映画に関しても、別稿として書いた文章には、そのようなことは書きませんでしたが、主人公の方と、それを記録している監督の方と、そして、無数の亡くなった方々が、そこには確かに居るように思います。

亡くなった方々とどのように共に居るのかということについての映画だとも言えます。

映画の上映会のことについては、チラシまたはホームページ(ブログ)に掲載して別稿、「『お前はどう生きるのだ?』〜「映画『息の跡』上映会と小森はるか監督と共に座る座談会」に寄せて」をお読みください。

上映会の詳細ページ

https://aidanokai.amebaownd.com/pages/3080700/page_201907190358

上記別稿のテキストページ

https://aidanokai.amebaownd.com/posts/6751433

間の会は、これまで、人をたくさん集めるということは全く考えてきませんでした。今回の上映会もそれが最大の目標ではありませんが、出来るだけ、この映画、座談会を必要としている方に、情報が届くことを願って、広報活動中です。ある人によっては、大きな出会いになるであろうことは確信しております。


◆ 9月の「月々の間の会」は、ちょうどお彼岸の期間です。この会をお彼岸の会とするか、別途、屋外でお彼岸会を行うかは、また、検討して行きます。


◆ ここ2ヶ月くらいは、ほとんど、上映会の準備にかかりっきりで、新しく出来た青谷の防災

コミュニティセンターには見学に行けていません。

ただ、贄崎で、何故かずっと行なって居るのは、ここのセンターが居心地がいいというだけではなく、この辺りの場所が、この街の、安濃津の、特に古への時代の何かを残して居る場所だからかもしれません。


◆ この文章は、2019年8月16日未明に書き始めました。

1945年8月16日未明、贄崎海岸から南へ約3〜4㎞の香良洲海岸にて、割腹自決を果たされた大日本帝国三重海軍航空隊少尉候補生 森崎湊さんの御霊に捧げます。



◆ 津市贄崎地区防災コミュニティセンターのアクセスについて、改めてご説明いたします。

三重交通の路線バスで、津駅前から空港アクセス港(津なぎさまち)行きが出ています。日曜日は、およそ1時間に1本程度です。復路も約1時間に一本程度です。

最寄りのバス停は、「空港アクセス港(津なぎさまち)」かその一つ手前の「港海岸(津なぎさまち)」になります。津駅前からのバスの所要時間は、約11分ほどです。

「空港アクセス港(津なぎさまち)」バス停からは、徒歩4、5分ですが、最短ルートだと階段があります。少し戻って旧堤防から回って来られると階段を使わないことも可能です。

「港海岸(津なぎさまち)」バス停からは、徒歩5分ほどです。信号を渡って、歩道のない小さな車道の一本道を行きます。

どちらが行きやすいかは、個人差があるかと思います。いずれも点字ブロックはありません。

事前にご連絡いただければ、開催時間の10分前くらいまででしたら、バス停まで徒歩でお迎えに行くことは可能です。

三重交通バス:津駅前12:27発 空港アクセス港(津なぎさまち)行き 

           12:37 港海岸(津なぎさまち)着

           12:38空港アクセス港(津なぎさまち)着

または   :津駅前11:27発 空港アクセス港(津なぎさまち)行き 

           11:37 港海岸(津なぎさまち)着

           11:38空港アクセス港(津なぎさまち)着



以下、スタッフ大募集中!

◆「映画『息の跡』上映会と小森はるか監督と共に座る座談会」の企画は本格的に始動しています。

これは、これまで間の会が企画して来た催しの中でも特に大きな規模の催しになります。

多くの人手が必要になってくると思います。

スタッフとして一緒に企画段階から関わってくださる方を絶賛募集中です。すでに佳境に入っていますが。

当日にお手伝いしていただける方も募集中です。

映画の内容などについて、詳しく知りたい方のために、日程を調整して説明会を開くことも考えています。少しでも関心を持たれた方は、是非とも西脇までお問い合わせください。

よろしくお願いいたします。

以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

●メール:aidanokai2015☆gmail.com (☆を@に変えてください。)

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2019年8月16日   間の会  西脇秀典

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