「お前はどう生きるのだ?」〜「映画『息の跡』上映会と小森はるか監督と共に座る座談会」に寄せて
西脇秀典(間の会)
京都の出町座でようやく初めて『息の跡』を観ることができたのは、全国ロードショーも終わり間近の昨年の3月のことです。その体験は「観ることが出来た」などと言うようなものではなく、「一体これは何を観てしまったのか」という激しい動揺を伴うものでした。帰りの電車の中で、必死でパンフレットを読み、そこに掲載されている多くの人たちの溢れるような熱気を帯びた言葉の数々に圧倒され、確かにわたしはとんでもないものを観てしまったのだという事態が少しだけ分かってきました。特に、この映画のプロデューサーと編集を務められた秦岳志さんの文章には激しく揺さぶられました。これらのことの一端をTwitterに呟いたら、直後に秦さんご自身から返信があり、益々自分の中で事態は大きく膨らんで行きました。そして、二つのことを思い始めたのです。この映画を撮った監督は一体どんな人なのだろうか?ということと、この映画を他の人に見せたい、特に、まだ地元の三重県では上映されていないようだったので、地元にも紹介したい、そして語り合いたいということでした。
何を観てしまったのか、分からないほどなのに、何故か、「もしかしたらこの映画からまた映画の未来が始まる、また映画の未来を信じられる」と、直感的に感じていました。
とにかく、このままでは収まりがつかないと思い、もう一度観たいという思いが募り、遠方も含めて公式サイトの上映会情報を頻繁にチェックし始めました。そうして初めて観た日からちょうど一年後くらいに、宝塚市で監督も登壇される上映会があると知り、向かうことにしました。
2回目に観た『息の跡』に、再び圧倒されながら、これは一体何なのだろうという謎が更に増しました。その後、小森監督と、秦さんのトークがあったのですが、そこで語られる映画には写っていない数々のことに驚きながら、小森監督の「わたしには表現したいことがないので、」という言葉が、何かわたしを突き動かしてしまい、トーク終了後に、監督と秦さんにお話に行き、小森監督に、「上映会をやってみたいのですが、それもただ上映するだけではなく、また、トークショーでもなく、上映会後、観客と監督と輪になって語り合うような座談会をやってみたいのですが、いかがでしょうか?」と、気がついたら、そんなことまで言ってしまっていました。
本当に不躾でご無礼なこととは思いながら、しかし、小森監督は、「観た方の感想は聞きたいので、それは面白そうですね。」とそのご無礼な提案に興味を示してくださいました。
宝塚市からの帰り道も、わたしは混乱していました。トークで聞いた内容から、何故、この作品が現在のような形の編集になったのだろう、何故、あのエピソードは語られなかったのだろう、と謎は深まるばかりでしたが、いきなり監督に唐突な申し出をしてしまったこと自体に自分でも戸惑っていました。
わたしは、これまでも、色々なご縁もあって、劇映画もドキュメンタリーも含めて何人もの映画監督の方とお会いしたことはあるし、ドキュメンタリー映画で、これは自分で上映してみたいと思った作品も、何本もありました。
しかし、実際にこんな風に動いてしまったのは初めてでした。
そして、混乱しながら家に帰ってきてからも、何か取り返しのつかないことをしてしまったと煩悶する日々が続いたものの、ちょうど、日本映画専門チャンネルで『息の跡』が初めて放送され、3回目を観た後、わたしは小森監督に、上映会と座談会の依頼をする長文のメールを送ってしまっていました。
参加者と輪になって対話のような場を作るというようなご無礼な提案に対して、小森監督から返ってきた返事は、そういう場を作ることに賛成であること、そしてその賛意には「作者よりも観てくださる方のほうがよっぽど、この映画のことを知っていると思います。」という言葉が添えられていました。
今になって思っても、この言葉が、わたしを更にここに至るまで、激しく突き動かしてくれているように思います。
それは、わたしには、何かとても懐かしい、そして、そこへであったら戻っていけるような言葉でした。
『息の跡』が、何かとんでもないものを観たという感覚に襲われるのは、何度観直しても、この作品は、わたしに、「で、お前はどう生きるのか?」と問うてくるように思われるからです。
それは、この映画の主人公である佐藤貞一さんの姿や語りかけてくる言葉だけでなく、この映画を撮っている監督の存在からでもあるし、この映画に写っている物たちや風景、あらゆるものから問われているように感じます。
わたしにとって、この映画は、東日本大震災で大きな被害を受けた陸前高田市のある人の暮らしということだけでなく、ただただ、人としてどう生きるか、生きる上で起こった出来事や、身の回りの物たちとどう関わっていくのか、それを記録したり、伝えたりすることはどういうことか、語ること、聞くこと、ものをつくるとは、どういうことか、そうしたことを、自分自身はどう引き受けて、自分自身の生活において、何をしていくのか、そう突きつけられているように思えるのです。
もちろん、何か特定の生き方や価値観を押し付けてくるようなものでは全くありません。
何故、そう思うのか、一口には言えませんが、小森監督は、何かメッセージを伝えようとか、そういう態度でこの作品を作っておられるようには思えないということがあります。
監督は、ご自身が移住して、そこで暮らしながら、その日常の関わりの中から見えてくるものを記録しています。
ただただ、目の前で起こっていることに驚き、それを記録し、そして、それを映画という形にして、出来るだけそのまま人に受け渡していくにはどうしたらいいか、それだけを願って作っておられるのではないかと思えます。(そう思えるだけかも知れません。)
そして、観たわたしも、ただそれに驚き、それを観てしまったという他なく、それは理解するとか、何かを得るというようなものではなく、観てしまった、聞いてしまったその事実しかなく、それを受け取ったわたしは、やはり自分が生きていくこと、そして受け取ってしまったものを誰かに引き渡していくことしか出来ません。
小森監督は映画監督ではなく映像作家と名乗っておられます。いくつもの映像作品も作っておられますが、わたしには『息の跡』は紛れもなく映画だと思えます。わたしに軽々しく言えるようなことではないかもしれませんが、そうとしか思えません。
映画であるからこそ、DVDとなって発売されたり有料チャンネルで放送されたりしても、やはり今後とも人が集まる場で上映されていくのが相応しいものだと思います。
実を言うとわたし自身は、近年、映画というものに少々不安を覚えていました。都会では少し違うかもしれませんが、わたしの住んでいるような街のシネコンでは、ハリウッドの超大作であっても、観客が二、三人とか、わたし一人とかいうことが度々あります。果たして、それは映画体験なのでしょうか?家電量販店に並ぶテレビはどんどん巨大化していて、特に映画館の少ない地方ではホームシアターなどを持ってみえる方も多いのでしょう。しかし、わたしはホームシアターで映画を観たり、配信された映画をパソコンやスマホで観ることが、映画体験だとはやはり思えません。映画は最早、過去のものとなっているのではないかとも思いかけていました。(あるいは、限られた都会だけに残った文化。)
映画館や上映会場に集まるということ。そのようにして観られるものこそが映画だと思います。それが暗闇で、非常に個人的な体験であったとしても、です。映画は、集まった人たちによって、暗闇の中で発見されて初めて映画になるという気すらします。
わたしは、普段、色々な考え方や生活スタイルや特性の人たちが集う場を作るということを「間の会」という活動で行なっています。
わたしが、この映画から受け取ったものを誰かに引き渡すために出来ることは、まずは、この「集まる」ということを主な活動としている「間の会」で、この映画を上映してみることだろうと思いました。
そして、この時代に、人が集まって映画を観ることがどんどん減ってきている、わたしの地元のような場所で、あえて集まって観るということをするのに、ただ観るだけでなく、この映画を作りあげた監督とともに同じ一つの輪になって話し合ってみること。せめてそのような場も作りたいと思うのです。
映画というのは独立した作品であるのだから、わざわざ監督と話をしなくても、作品のみと接すればよいのではないか、そういう思いとのせめぎ合いも、やはりずっとあります。
しかし、小森監督の「表現したいことがない」とか「観てくださる方のほうがこの映画をよく知っている」というような言葉から感じられるのは、わたしは、監督ご自身が、出来事や世界に対して、非常に節度やわきまえ、分からないことへの厳粛さや覚悟を持って接しられておられる、そして、それはご自身が作られた一つの映画という独立した現実そのものに対しても同じように非常に節度を持っていらっしゃるのだろうということ。そんな方だからこそ、映画を観た後、観客と一緒に座ることが出来るのではないか、と思えるのです。
わたしは、そのようにして、最初、直感的にまた映画の未来が始まるとまで思った、この映画を、わたしたちが暮らす街の生活の中に置いてみたいのです。
大きな被害を受け、多くの大切な人やもの、景色を失った陸前高田に比べ、わたしの地元は、あまりにも危機感に乏しい、物に溢れたような街ですが、この作品を観ていると、陸前高田には、むしろ、わたしの地元の街が見失ってしまったような大切なものがあるようにも思います。
映画のチラシには、「あの大きな出来事のあとで、映画に何ができたのか。そのひとつの答えがここにある。」と書いてあります。しかしわたしは、答えとは問いのことなのだなと、つくづく思います。
わたし自身は、今も、この映画から、お前はどのように生きていくのだ?と問われ続けています。
まだ、わたしはそれに答えられてはいませんが、まず、この作品を上映し、語り合う場を作ることで、次に進めるように思うのです。
小森監督が、映像による記録や作品の制作の活動と共に陸前高田市での「けせん、たいわ、つむぎ」など、対話の場の企画・運営も行っておられるということも、この思いを後押ししてくれました。
今回、わたしは赤字覚悟でこの映画の上映を企画してみましたが、それは何かよいことなのか、公益のあるものなのか分かりません。なので、特に、公的機関や、団体の後援などを受けることもしませんでした。これは、単に、わたしがやり遂げないといけないことのように思います。
この作品が公開され始めた頃に発表された小森監督の書かれたある文章の中に印象的な一文があります。少し元の文章全体の文脈とは切り離されてしまいますが、その一文を引いておきたいと思います。
「映画というものは、土地や人の暮らしの片隅にひっそりと身を置いて共に生き続けているものかもしれないと思えた時、近寄りがたいと感じていたその世界が、とても身近な場所に開かれていった。」(工藤庸子編 『論集 蓮實重彦』 羽鳥書店刊 所収 小森はるか「眼差しに導かれて」より)
わたしも、映画とは、そのようなものであってほしいと願っています。そして、この集まりが、映画と、あるいは映画を通じて、新たな出会い直しのささやかなきっかけになればと思います。
関心を持っていただければ幸いです。
上映会、座談会への参加だけでなく、この催しのスタッフとして一緒に作り上げて行ってくださる方も募集しております。
この一年以上、結構持ち歩いていることが多くて、何度も読み返し、かなり汚れてしまった『息の跡』のパンフレット。
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