明日12月22日(月)は、【一陽来復 間の会 冬至の祭り】を行います。 わたしは、この祭りを、あと何回行えるでしょうか。 人間は、誰もが必ず死ぬ存在としてのこの生を生きる、その実践とは何なのか。

皆様


こんにちは。

今年は、今のところ、それほどは寒さが厳しすぎないように思いますが、

火災が多いのが気掛かりですね。


明日は、【一陽来復 間の会 冬至の祭り】を行います。


◆【一陽来復 間の会 冬至の祭り】

日時:2025年12月22日(月)14:00頃〜16:30頃

場所:津市まん中広場

※非常に寒いとは思いますが、雨天でも開催する予定です。

FBイベントページ


昨日は、2年前に自宅の火災で亡くなった友人の命日でした。

まさか、そんなことで亡くなるとは夢にも思っていなかったので、

本当にびっくりしました。

かれが、ちょうど、この【一陽来復 間の会 冬至の祭り】の終了後に電話をかけてきて、

ふらっとやってきて、温かい缶コーヒーを飲みながら過ごしたのは、4年前のことだったでしょうか。


かれが、終わった頃にやってくるというのは、何度かあったことでした。

毎年3月11日に行っている間の会では、14時46分を避けて、15時前くらいにふらっとやってきました。


もう、かれの家も更地になってしまい、他の人の手に渡りました。


わたしには、今でも、かれの存在がありますが、それでも、もうかれに会えないというのはどういうことでしょうか。


残念とか、寂しいとかではなく、人がこの世からいなくなるのはどういうことだろうかと思います。

ちょうど、かれが火災で亡くなった時は、わたしは、そのかれの家からもほど近い、市の火葬場で働いていました。年末まで、とても落ち着かない気持ちで働いていたように思います。


わたしは残念なことに、その年の年明けには火葬場を首になってしまいました。


それでも、今もなお、その時の仕事のすべての時間がまだからだに残っていますけれど。


人間の世界に時計や暦がなかったら、人間にとって時間とは何だったのでしょうか。


地球という天体に、人間は本当に暮らしているのでしょうか。


日々、移ろいゆく、この太陽の光や、月の光、空気や風とは、一体何なのでしょうか。


人々が、古えから、この日を冬至と呼んできましたが、それは何故だったのか、

それを、明日も、辿ってみたいと思います。

この日にどういられるかということを探ってみたいと思います。


まをふを行う思いではおりますが、必須ではありません。


再来年の3月で廃止になってしまう、まん中広場で行います。


さて、わたしは、冬至の日に古えからの、この日を辿る祭りを、あと何回行えるでしょうか。


人間は、誰もが必ず死ぬ存在としてのこの生を生きる、その実践とは何なのか、共に探って参りましょう。


以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2025年12月21日 間の会 西脇秀典

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0 likes, 0 comments - aidanokai on December 21, 2025: "明日12月22日(月)は、【一陽来復 間の会 冬至の祭り】を行います。 わたしは、この祭りを、あと何回行えるでしょうか。 人間は、誰もが必ず死ぬ存在としてのこの生を生きる、その実践とは何なのか、共に探って参りましょう。 皆様 こんにちは。 今年は、今のところ、それほどは寒さが厳しすぎないように思いますが、 火災が多いのが気掛かりですね。 明日は、【一陽来復 間の会 冬至の祭り】を行います。 ◆【一陽来復 間の会 冬至の祭り】 日時:2025年12月22日(月)14:00頃〜16:30頃 場所:津市まん中広場 ※非常に寒いとは思いますが、雨天でも開催する予定です。 FBイベントページ https://www.facebook.com/share/1Bk45yXb9d/?mibextid=wwXIfr 昨日は、2年前に自宅の火災で亡くなった友人の命日でした。 まさか、そんなことで亡くなるとは夢にも思っていなかったので、 本当にびっくりしました。 かれが、ちょうど、この【一陽来復 間の会 冬至の祭り】の終了後に電話をかけてきて、 ふらっとやってきて、温かい缶コーヒーを飲みながら過ごしたのは、4年前のことだったでしょうか。 かれが、終わった頃にやってくるというのは、何度かあったことでした。 毎年3月11日に行っている間の会では、14時46分を避けて、15時前くらいにふらっとやってきました。 もう、かれの家も更地になってしまい、他の人の手に渡りました。 わたしには、今でも、かれの存在がありますが、それでも、もうかれに会えないというのはどういうことでしょうか。 残念とか、寂しいとかではなく、人がこの世からいなくなるのはどういうことだろうかと思います。 ちょうど、かれが火災で亡くなった時は、わたしは、そのかれの家からもほど近い、市の火葬場で働いていました。年末まで、とても落ち着かない気持ちで働いていたように思います。 わたしは残念なことに、その年の年明けには火葬場を首になってしまいました。 それでも、今もなお、その時の仕事のすべての時間がまだからだに残っていますけれど。 人間の世界に時計や暦がなかったら、人間にとって時間とは何だったのでしょうか。

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