明後日12月12日(木)は【ご縁の間の会】です。一人で考えなくていい。
こんにちは。寒いですね。
わたしは寒いのがとても苦手で、まあ、それも自己都合でしかないのですが、
家にいると止まってしまいます。
明後日12月12日(木)は【ご縁の間の会】です。
専琳寺さんでの会は、今年はこれで最後ですので、ぜひお越しください。
◆【ご縁の間の会】
日時:2024年12月12日(木)13:30〜16:30
場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)
先日の【ごちゃまぜ 人間の会】の終了後、
呼びかけ人で話し合いをしました。
来年も引き続き行います。
その話し合いの中で、ウォーミングアップとか準備運動みたいなもとして、
瞑想がしたいという要望が出ました。
瞑想をして、落ち着かないと人の話が聞けないということでした。
わたしは、それに関しては、事前にそういうことを決めておく必要はないと思い、
そのように伝えました。
場の中で、瞑想しませんか、という提案は、それはそれでそう思うのであれば、
提案してもらえばいいと思いますが、
わざわざ、人が集まっている場において、
何か事前に決めておいたことをしたり、一人でも出来るようなことをするのは、
どうも時間がもったいないように思います。
それと、人の話を聞くことが目的なのかなと、それも疑問に思います。
人が集まって、その場、時間を過ごすということに、
何か目的って必要でしょうか?確かに、人の話を聞いてもらえなかったら、
何を聞いているの、と言われるかもしれませんし、
人の話を聞きたいと思うのも、それはその人次第ですが、
なぜ、人の話を聞きたいのでしょうか?
目の前に人がいて、
本当にせっかくの機会に、そこに足を運んでくれた人がいて、
わざわざ瞑想して、目の前の人に直面出来るでしょうか?これ、出来るとか出来ないとかの話ではないと思います。
正解とか、間違っているとかもないと思います。
今、まさに、目の前に人がいる、というただそれだけのことです。
それで、人が何かを話し始めた時に、
その人に対して、どう答えようかとか、次に何を発言しようか、とか、
考えていたら、それは確かに、人の話は聞けません。
考えている暇はないと思います。
そしてまた、やむを得ず、話し出してしまう時は、それは話し出してしまうでしょう。
人が話をしている時は聞きましょうというルールがあるわけでもありません。
ただ、人が話をしている時に考えている暇はないし、
聞いてしまったからだは、もう何を話たいかわかっていて、話し出すと思いますので、
一人で考えなくていいのです。
これは考えるのを放棄せよと言っているわけではありません。
集団になって、自己を放棄せよと言っているわけでもありません。
そんな簡単に自己なんて放棄できません。
ただ人といることをやるのみです。
自分はこんなやつだからとか、
こういうことは苦手だからとか、
そんなことは一切関係ありません。
自分で自分を規定しないでください。
多分、そんなことは全く必要ありませんし、そんな余裕はないです。
分からないことは、何でも聞いてください。
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2024年12月10日 間の会 西脇秀典
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