【間の会のお便り】 2020年5月20日を掲載します。
【間の会のお便り】2020年5月20日
みなさま、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?いつ何時でも、皆さんそれぞれの状況や思いは一人として同じではないと思うものの、今のような時節においては、その違いの大きさも想像の及ぶところではなく、どのように言葉を置いたらよいのか戸惑われます。
ひとまず、以下の日程をご案内いたします。
一、月々の間の会
日時:2020年5月24日(日)13:30~16:30
場所:津お城西公園(津城の公園ではなく、津市役所の北側の公園)の東屋
(交差点の時計台裏になります。スロープでのアクセス可、屋根あり)
二、月々の間の会(6月)
日時:2020年6月28日(日)13:30~16:30
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター2階集会室
◆ 今年度から、新しいサイクルの活動を計画しようと思っておりましたが、正直なところ、それは、まだ考えることができません。
5月24日は、贄崎の防災コミュニティセンターを借りてありましたが、緊急事態宣言が出た後、施設は閉鎖になり、キャンセルされました。そして、宣言の一部解除と共に再び使えるようになりました。
この施設は、室内としては風通しもよく、広々としているのですが、下足して上がるところとはいえ、樹脂製の床に簡単な座布団を敷いて、直接座る形で行っており、寝転がったり、床に手をついてゆったり出来ることが特徴ではありました。そこが気に入っている部分でもあったのです。
つい最近まで、触れるものに対して、特に気を遣ってきた感じがあって、宣言が解除になったからといって、その感覚が急に変わるというわけには、わたし自身はどうもいかない感じがあります。
贄崎のセンターは、どうしても触れるものは多くなってきますので、どうも神経質になりそうで、5月はとりあえず、4月と同じく、屋外、屋根付きの公園の東屋で行います。
6月からは、実際その頃どういう状況かは分かりませんが、ゆるゆると元の会場での開催を考えています。
◆ このお便りの冒頭に「違いの大きさも想像の及ぶところではなく」と書きましたが、世界中が新型コロナウイルスの感染拡大という事態に直面しているのですから、世界的に多くの人々が、共通の感覚を味わっているとも、もちろん捉えられます。しかし、新型コロナウイルスというものに対する警戒感や恐怖の程度は一人一人違うでしょうし、この事態によって、仕事を失った人、仕事がテレワークになった人、人との接触を避けたいのに仕事に行かざるを得ない人、仕事に関わらず大切なことが出来なくなってしまった人、大切な人に会えなくなってしまった人などなど、置かれている状況は、本当に一人一人違うのだろうなあと思う感覚が、わたしには強くあります。
また、新型コロナウイルスというもの自体が、知識や情報としてしか分からないということがあります。現在までにわたしの身の回りでは、知り合いの知り合いのこんな関係の人が感染したらしいというような話は聞きましたが、直接の知り合いには感染者は出ていません。亡くなられた方も、著名人の方以外は、ただ数字で表されるばかりです。
日々、感染者や亡くなられた方の人数やデータなどばかりが伝わってきます。
そして、この感染拡大ということ自体や、感染拡大を予防するためにどのようにしたらいいのかということも、ひたすら情報、知識として入ってくるばかりです。
そうした情報や知識も身体感覚に何らかの影響を与えているだろうし、それは無視出来ませんが、実際に、からだや直観のようなもので、何を感じているのかというと、正直雲をつかむようで、ある種の緊張はありますが、どこかぼんやりしています。
このぼんやりした感じを頼りに行動していくのは、どうも居心地が悪いです。
最近は、情報や知識にも、あまり多くは触れられなくなっています。
情報や知識に基づいて、人との距離感を決めるというのは、一旦とりあえずそうしておくというくらいのことでしかなく、実際に人やものに触れるということを少しずつ取り戻していくにはどうしたらいいのかということを思います。
消毒などということも、過剰に行っていいものかどうか分かりませんし、完全に距離を取り続けるとか、触れないというのは、どうも不自然なようにも思います。
もちろん、人同士のことは相手あってのことですから、これもそれぞれの間を大切にしたいことです。
ただ、この時期、人と直接会えないということで、会えない人のことをより強く感じるようなこともあったように思います。距離感というのは、何もからだの距離感のことだけではありません。
◆ 間の会は、会う、集うということのみを、その活動の主旨としています。
それは、主に直接会う、集うということです。
実際に「会う」とか「集う」ということは、どういうことなのでしょうね。
それを探求していくことそのものが本義かもしれません。
この活動は、特に何か、よいこと、益になること、役に立つこと、必要なことを目指しているわけではありません。誰かのためにやっているわけでもありません。動き出す時に、おのずから動き出すような働きのことです。
お便りをお送りしていますが、いずれにしても、無理をしたり、義理や義務のようなことではなくて、何か動き出すようなものがあれば、お運びください。
わたしもそういうことだけをしていきたいと思います。
どうぞ、皆様、皆様がそのいのちを全う出来ることを祈願しております。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2020年5月20日
間の会 西脇秀典
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