明日【第八回 津久井やまゆり園事件を考える集会 in みえ】、明後日【ごちゃまぜ 人間の会】、そして、8月の間の会スケジュール。
皆様
こんばんは。
猛暑が続きます。おからだにお変わりありませんか?
水害も発生しています。心よりお見舞い申しあげます。
わたしは、今週は、どうも非常に体調が悪かったです。
今もすっかり回復したとは言えませんが、何とかこの気候とうまくやっていくしかありません。遅い時間に申しわけありませんが、明日を迎えるにあたって、書いておきたいので、以下をお送りいたします。
明日は【第八回 津久井やまゆり園事件を考える集会 in みえ】です。
また、明後日は【ごちゃまぜ 人間の会】です。
どちらもぜひご参加ください。
以下に8月の間の会スケジュールを載せます。
◆【第八会津久井やまゆり園事件を考える集会 in みえ】
日時:2024年8月3日(土) 17:00~19:00
場所:津市まん中広場
雨天時は、津センターパレス地下1F 津市市民活動センター オープンステージ
※ :手話通訳、要約筆記(ノートテイク)付き
主催:第八回津久井やまゆり園事件を考える集会 in みえ実行委員会
(佐藤竜 白﨑宇多彦 鈴木晋作 高山宗仙 西脇秀典 松田愼二)
共催:間の会、特定非営利活動法人ピアサポートみえ
後援:三重県、三重県教育委員会、三重県社会福祉協議会、津市、津市教育委員会、津市社会福祉協議会
賛同団体・個人:PhotoGallery165、一般社団法人 三重県社会福祉士会、特定非営利活動法人 DPI日本会議、公益財団法人 反差別・人権研究所みえ、一般社団法人 三重県聴覚障害者協会、亀田恵子、今枝良浩、佐々木絵実、小熊英二、大杉博敏、伊藤晴美、梅澤妃美、木村清俊 (7/24日現在)
◆【ごちゃまぜ 人間の会】(8月)
日時:2024年8月4日(日)13:30〜16:30
場所:津センターパレス 津市市民活動センター地下一オープンステージ
呼びかけ人:西脇秀典・松田愼二・佐藤竜
◆【ご縁の間の会】
日時:2024年8月8日(木)13:30〜16:30
場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)
◆【スタジオピアさんで間の会】非公開
日時:2024年8月9日(金)
◆【お盆の間の会】
日時:2024年8月15日(木)17:00頃〜20:00頃
場所:未定
◆【月々の間の会】
日時:2024年8月25日(日)13:30〜16:30
場所が取れない場合を除き、基本、第四日曜日になります。
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター
明日の集会には、ぜひ、大勢の方にご参加いただきたいものです。
昨年より30分時間を遅くずらしましたが、それでも昨年よりも暑いかもしれません。
今、暑さ対策を色々準備中ですが、参加される方は各自でも対策してください。
これは、普段の間の会と違う点は、それぞれマイクを持って発言していただく点にあります。
それは、通行人の方にも聞こえるように音響設備を設置いたします。
後援や賛同団体、個人などを広く募ったのは、出来るだけ、色々な立場の方に興味を持ってもらったり、参加しやすくするためですが、これは難しい面もあります。
賛同という形で名前を連ねるというのは、人に対してどういう影響を与えるでしょうか?
あの団体や、あの人が賛同しているなら、参加してみようと思うことは、真に自発的な参加と言えるでしょうか?
逆に言えば、行政のお墨付きを得たような催しには参加したくないという人もおられるかもしれません。かえって、そうした人を排除してしまわないかという危惧もあります。
今回とくに、障害者施設の事業所からご賛同いただけなかったのは、非常に残念です。
施設で働いている方などは、言いたくても言えないようなことがあるのではないかと思います。むしろ、そういう声も聞きたいと思っています。
このやり方がよいかどうか分かりませんが、極力、参加のハードルを下げたいと思って、多くの団体や人々にご賛同を募りました。
わたしは、どうして、この集会を、毎年行なっているのでしょうね。
何か、根源的に、自分にとって、どうしても看過できない、重大なことが、この集会にはあるように思います。
先日、ふと思い出していたのですが、わたしは中学の時の卒業文集に、当時起こったホームレス襲撃事件のことを書きました。今手元にすぐあるわけではありませんが、それははっきり覚えています。少年たちが、「ゴミを掃除しただけ」などと言って、野宿者の人を襲撃し、複数名が亡くなり、何人もの重軽傷者が出ました。
もう40年以上も前の話ですが、ずっと、根底に、人を人と見做さないことに対する、強い違和感と、それは何故起こるのかということを考え続けてきたように思います。
中学生の時、『タクシードライバー』や『時計じかけのオレンジ』のような映画を観て衝撃を受けていたからかもしれません。後者は、まさにホームレスを襲撃する場面から始まりますし、前者は、街を洗い流すのだと、売春宿を経営する男たちを皆殺しにします。
どちらもとても不快な映画でもありながら、主人公の孤独や社会の描き方に支持者の多い作品です。
この時代に投げかけられた問いから、未だに逃げられないのかもしれません。
以下に、明日の集会で配布する資料に寄せた、わたしのメッセージを掲載しておきます。
よろしかったら、お読みください。
それと、今年は、お盆の間の会を、8月15日に行うことにしました。これはまたご案内します。
以下、集会に寄せるメッセージです。
現状、人を殺したら、法律によって裁かれ、刑罰を受けなければなりませんが、今も、日々刑罰も受けず人殺しが続いている中、オリンピックも当たり前のように開催されており、そんな中でこの集会を行います。
だめだ、許さない、やめろ、認めない、と各地の人が言い続けても、殺人が起こっています。
殺人はどうしてもなくならないのでしょうか。
そして、その殺人が、平和のためとか、正義のためとか、心底信じきって行われる場合、本当に、どうして、それを説得して止めることが出来るでしょうか。やめない人を仲間はずれにしますか?
このやまゆり園事件の場合、犯人の言葉や思想があまりにも、たくさん紹介され過ぎている面はあるように感じます。
また、その思想を過大に取り上げ過ぎているのではないかとも思います。
やったことに対しては刑罰を受けてもらうしかありませんが、しかし、犯人の思想自体に、何か脅かされるようなものや、この社会がこれでいいのかと問いかけられるような面があり、そこからは逃げられません。犯人も特に考えを変えてはいないようです。
では、そのような思想を持ってはいけないのでしょうか?
ある特定の考え方や思想を持ってはいけないというのはどういうことでしょうか?
社会にとって良しとされる考え方と対立する考え方は、持つだけでいけないのでしょうか?
考え方とか思想とは何でしょうか。
社会にとって良しとされるということで言えば、旧優生保護法のように、社会や国民の多くが良しとする価値観の中で生まれた法律が、時を経て憲法違反とされました。
社会における良し悪しも、時代によって変わりますが、それは、時代によって変わるというだけでいいのでしょうか?
どうして、特性の違う人、言語の違う人、背景の文化が違う人、国籍や人種やルーツが違う人、思想や考え方の違う人と、一緒に暮らせないのでしょうか?そうした者同士が関わり合うことを避けようとするのでしょうか?
人と違ってはいけないのでしょうか。
しかし、そこで、殺し合いにならないように、どちらかが一方的に傷つけたりしないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?
こうしたことに、今、何か、答えはありますか?あるいは、殺し合いは止むを得ないと思いますか?誰が、正しいことを決められますか?
どれだけでも考え続けたいと思います。
そして、全く相容れないような人と、関わり続けていきたいと思います。
この人の世に生きることはとてつもなく面倒臭く、手間がかかることですが、自分で考えた答えや思想にだけとどまっていられないからこそ、生きているのです。
西脇秀典
それでは、今月もどうぞよろしくお願いいたします。
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2024年8月2日 間の会 西脇秀典
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