間の会 8月のスケジュールと、【第7回 津久井やまゆり園事件を考える集会】のご報告
8月8日に各種SNSに掲載したものをこちらに転載します。
皆さま
こんばんは。
厳しい暑さと台風や大雨が続きます。
どうぞ身辺お気をつけください。
8月の間の会、関連のスケジュールを日付順にお知らせいたします。
ご縁の間の会の開催日にご注意ください。
1、 お盆の間の会
日時:8月13日(木)17:00〜20:00
場所:津市まん中広場(雨天時は、津市役所北、お城西公園の東屋)
2、ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて
日時:8月17日(木)13:30〜16:30
※今月はお盆の期間を避けて第二木曜日ではありません。
場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)
3、【からだを見合う実験室】(間の会主催以外の推奨の催し)
日時:8月20日(日)11:30〜16:30(京都開催)
世話人:古川友紀、大崎晃伸、西脇秀典
場所:京都市左京「西部」いきいき市民活動センター 会議室3
参加費など:場所代カンパ、※申し込みが必要です。定員あり、世話人含め10名まで
◇京都開催は、一旦これで最後になるかもしれません。ぜひ、ご参加ください。
4、月々の間の会
日時:8月27日(日)13:30〜16:30
※今年も場所が取れない場合や例外を除き、基本は第四日曜日になります。
場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 2階集会室
5、ごちゃまぜ 人間の会(9月)※この月だけ奇数月の開催になります。
日時:9月3日(日)13:30〜16:30
場所:津センターパレス地下一階 津市市民活動センター 研修室
呼びかけ人:西脇秀典・松田愼二
ぜひ、どこかでお会いしましょう。
以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、
● メール:aidanokai2015@gmail.com 間の会 西脇秀典です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2023年8月8日 間の会 西脇秀典
これは、追伸になりますが、先日の『第7回 津久井やまゆり園事件を考える集会』には、たくさんの方にご参加いただき、誠にありがとうございました。
間の会で行なっていることと、本質的な面で重なってくる部分が多くあると思いますので、以下に、わたしがこの集会に関してご報告したいと思ったことと、参加者の方からいただいたとても熱意のあるお手紙の一部を掲載したいと思います。よろしかったら、ぜひ、お読みください。
●もう1週間以上も経ってしまいました。御礼が遅くなりましたが、『第7回 津久井やまゆり園事件を考える集会』に、猛暑の中、たくさんの方にご参加いただきまして、誠にありがとうございました。言葉を発する、発しないにかかわらず、長時間に渡って、皆さんが真摯な姿勢でその場に関わっていただき、とても大切な時間を過ごすことが出来ました。
こうした一見社会的なテーマと見られがちな集まりは、普段行っている集まりよりも告知に対する反応も多かったように思いますが、わたし自身は、特に社会的なテーマだとは思っておりません。また、いわんや、特に何かいいことをやっているわけでは全くありません。障害者のためとか、そんなアバウトなことも微塵も思っておりません。
社会的に「津久井やまゆり園事件」のことで何かアクションを起こしているポジションにつくとか、そんな目的が、僅かに一細胞ほどでも、自身の動機に潜んでいるようであれば、やらない方がマシです。
どうしてもやらざるを得ないからやるまでのことで、こんなことは、やらなくて済むのなら、好き好んでやりたくはありません。ですから、もちろん、別に参加した人が皆発言する必要も全くありませんが、ただ、参加したという実績とかアリバイみたいなものとは無縁の催し、集まりです。今年は、色々と準備不足の部分もありましたし、チラシの文言についても厳しい問いかけもなされましたが、しかし、実行委員の間で、これをただ実行するのだという部分は、ある程度共有出来ていたと思いますし、参加者の皆さんの、この催しへの関わり具合も深く、それぞれが、自分自身が、この事件とどう向き合うのか、ということを、じっくり考えられましたし、それは、一人でどれだけ調べたり、考察したりしても辿り着けない、様々な視点からの言葉が立ち現れていました。まさに生きること、そのものに肉薄する時間でした。
ご参加いただいた方から、実行委員会宛てに、即座に、大変、深い自問を伴った、力強いお礼のお手紙をいただきました。
「どのように使って頂いても構いません。」とのことですので、長めに引用させていただきたいと思います。
これだけでも、どのような集会であったか、ずっしりと伝わってくると思います。
社会をどう変えて行くのかより、自問の方が多くなっていると感じられるかもしれませんが、社会を変えるにしても、それは、自分自身がどうして行くのかから始まるようには思います。
皆さま、どうもありがとうございました。
以下、感想のお手紙からです。
『失礼ながら、 こういった種類の集会等は、 ひらすら「被害者かわいそう」「障がい者かわいそう」「犯人ゆるせない」「すべての差別をなくそう」を異口同音に合唱しておしまいということが多いと思っていたのですが、 先日の集会はそうではありませんでした。
当事者の方から当事者の目線でなければ見えないこと、 支援者の方から支援者の立場でなければ分かり得ないことなど、「そういうものの見方、 考え方もあるんだ」とハッとさせられるお話がいくつも出て、 自分の心の目がいくつも開かれ、 その目からウロコが何枚も落ちました。
とりわけ、 車椅子の当事者の方が仰った、「能力がないという能力」は、本当に心に響きました。
今の世の中、 何かにつけて 「スキルを身に付けよう」「スキルで稼ごう」です。ですが、
スキルがないというスキルという考え方は、 そうした能力至上主義、実績至上主義という現代の「偏り」の根底を鋭く打擲するものでした。「自分には何の能力もない」と深く自覚できるのも、 立派な自己洞察能力だと思います。その洞察による過酷な自己認識からはじまり 、 「ではどう生きるか」を考えられるのは、 並大抵の能力ではありません。ですが、 その並大抵ではない能力を、 日々駆使しているのが、 重度障がい当事者の方々だと分かった時、 自分のものの見方が1 8 0度ひっくり返った感がありました。支援者の方が仰った、 価値観のアップグレードとはこのことでしょうか 。
結局、生きることは、絶え間ない模索であり、飽くなき葛藤ではないかと思います。どんなに打ちひしがれても模索を続け、 どんなに坊径い続けても葛藤を止めない。生きるとは、そういうか細くも絶え間ない、生と死の境を行き来する、波乱に満ちた全身全霊の営みではないでしょうか。 その波乱の中で、「自分には何の能力もない」と自覚できるのは、「なんとしても生き抜く」意思を貫かんとする勇気という能力によるものだと思います。
「人間とはこうだ」「人生とはこうだ」という答えがあれば、 誰も苦労はしないですよ
ね。それを模索し、 答えに葛藤するところに、 本当の人間らしさが生じるのではないかと思います。』
以上です。
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