明日の街角井戸端会議は雨のため、会場を変更します。

こんばんは。

まだ、詳しくお知らせしておりませんでしたが、

明日は、【街角井戸端会議】を行います。

ただ、津市まん中広場を予定しており、スケジュールにもそう記載しておりましたが、台風接近でほぼ確実に雨の見通しのため、場所を、「アスト津3階 みえ市民活動ボランティアセンター 交流スペース テーブル2」に変更します。まん中広場隣のセンターパレスにあるNPOサポートセンターが休館日なので、少し距離が離れますが、津駅隣のアスト津の室内になります。それに伴い、時間も15:30〜18:30と告知しておりましたが、会場の時間の都合から、一時間早まって、14:30〜17:30になります。


◆街角井戸端会議「あなた自身にとって『国』とは何ですか?」

●日時:2022年9月18日(日)14:30〜17:30

●場所:津駅東口隣 アスト津3階 みえ市民活動ボランティアセンター 交流スペース テーブル2


同様のテーマを、実は5年前にも行なっているのですが、改めて、なかなか考えさせられるテーマだと思いして、再び取り上げました。

「国」というのは、公共的なことのように考えてしまいますが、実際のところ、それぞれの自分自身にとっては、それは、どういうものなのでしょうか?

思想とか、定義の問題ではなく、それぞれ自分自身にとって、一体、「国」とは、どういうもので、どういう位置を占めているのか、考えてみたいと思います。

今は、安倍元総理大臣の国葬について、連日、ニュースでも報道され、議論されています。

私は、この国葬については、個人のFBなどでは何度も書いておりますが、非常に違和感があります。

これは、しかし、今回の安倍元首相のものだけでなく、昭和天皇の大喪の礼の時にも痛切に感じたものでした。

それは、法律的に、どうかということよりも、やはり、「国」というものが、何か、自分と別の単なる制度だとか、決まりとかということだけでなく、自分自身にも、「国」というものと切り離せない何かがあるからだろうと思います。

「国」というのは、一体何のことなのでしょうね。答えがあるかどうかというより、長年考えてきても、よく分からない何かとして、自分の中にはあります。

色々な考え方、皆さんそれぞれの中にある、「国」について、聞いてみたいと思います。

どのような意見、考え方でも、皆で話しあってみましょう。

台風で、天候が心配ですが、どうぞ、ご無理なさらずに。

それでは、お待ちしております。

以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

● メール:aidanokai2015@gmail.com です。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。              

2022年9月17日   間の会  西脇秀典

#間の会 #街角井戸端会議 #集い #三重県 #津市 #国 #テーマ

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間の会 shared a post on Instagram: "明日の街角井戸端会議は雨のため、会場を変更します。 こんばんは。 まだ、詳しくお知らせしておりませんでしたが、 明日は、【街角井戸端会議】を行います。 ただ、津市まん中広場を予定しており、スケジュールにもそう記載しておりましたが、台風接近でほぼ確実に雨の見通しのため、場所を、「アスト津3階 みえ市民活動ボランティアセンター 交流スペース テーブル2」に変更します。まん中広場隣のセンターパレスにあるNPOサポートセンターが休館日なので、少し距離が離れますが、津駅隣のアスト津の室内になります。それに伴い、時間も15:30〜18:30と告知しておりましたが、会場の時間の都合から、一時間早まって、14:30〜17:30になります。 ◆街角井戸端会議「あなた自身にとって『国』とは何ですか?」 ●日時:2022年9月18日(日)14:30〜17:30 ●場所:津駅東口隣 アスト津3階 みえ市民活動ボランティアセンター 交流スペース テーブル2 同様のテーマを、実は5年前にも行なっているのですが、改めて、なかなか考えさせられるテーマだと思いして、再び取り上げました。 「国」というのは、公共的なことのように考えてしまいますが、実際のところ、それぞれの自分自身にとっては、それは、どういうものなのでしょうか? 思想とか、定義の問題ではなく、それぞれ自分自身にとって、一体、「国」とは、どういうもので、どういう位置を占めているのか、考えてみたいと思います。 今は、安倍元総理大臣の国葬について、連日、ニュースでも報道され、議論されています。 私は、この国葬については、個人のFBなどでは何度も書いておりますが、非常に違和感があります。 これは、しかし、今回の安倍元首相のものだけでなく、昭和天皇の大喪の礼の時にも痛切に感じたものでした。 それは、法律的に、どうかということよりも、やはり、「国」というものが、何か、自分と別の単なる制度だとか、決まりとかということだけでなく、自分自身にも、「国」というものと切り離せない何かがあるからだろうと思います。 「国」というのは、一体何のことなのでしょうね。答えがあるかどうかというより、長年考えてきても、よく分からない何かとして、自分の中にはあります。 色々な考え方、皆さんそれぞれの中にあ

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