【お盆の間の会】は今年も無事終わりました。
【お盆の間の会】は今年も無事終わりました。
ありがとうございました。
直前の会場へ変更にもかかわらず、お一人の方にお越しいただき、
大変面白い、かけがえのない時間を過ごすことが出来ました。
この日は万全に準備はしたものの、盆踊りは行いませんでした。
お越しくださった方のおじいさんやおじいさんのご兄弟の面影の浮かぶ中、
充実したお話をすることが出来、既に場は踊っていて、
それ以上、何か足す必要を感じませんでした。
もちろん、盆踊りはいつでも起こりうる態勢で臨んでいます。
けれど、いつでも行うという意志だけが必要であって、
本来、盆踊りというものは、個人や団体が企画実行すれば始まるというだけのものでもないように思います。
毎年、少しずつ、その気配があり、何十年もかかって、もしかすると、
それが生まれうるかもしれない。そういうスパンでいたらいいことだと思います。
若いエネルギー溢れる人が来られたら、また、何か違うことが起こるかもしれません。
【お盆の間の会】は今年で4年目でした。昨年は二日間に渡って行いました。
何故、これを行おうと思ったのか、当初から明確な理由があったわけではありませんが、
今回お話しながら、ちょうど6年前には、相次いで3人もの友人が亡くなったり、そればかりでなく、この10年くらいの間には、多くの友人や親しい人が亡くなられたりして、それらは、一般的な家のご先祖様の供養とか、お墓参りでは如何ともし難いのがあるように感じているからかもしれません。
今年は、また、これは大変珍しいことですが、天皇や皇室について、随分、じっくり話をする機会ともなりました。
この日にこのような話をするとは思ってもみませんでした。
わたしは、Facebookなどでは度々書いてきておりますが、天皇や皇室が、国の根幹を担うものとしてあることに、長年違和感を感じております。
しかしながら、昨日、お話の中で、「天皇や皇室がないと寂しい」という言葉を聞けたのは、改めて、非常に貴重なことでした。わたしは、何か政治思想的に正しいとか、こうあるべきとかいうことよりも、「寂しい」とか「懐かしい」とか、そんな言葉の方がかけがえのないもののように思いますし、実際に伝わってきます。
しかし、わたし自身は、何かの思想、信条、理念などからではなく、どうしても天皇や皇室が国の根幹にあることを居心地悪く感じてしまうことも事実で、そうした「寂しい」という思いをされる方の言葉を聞いて、改めて、自分自身は、それでも何故居心地悪いのだろうかということを、今後ももう少し掘り下げていかなければならないように思いました。
掘り下げるというのは、ただ、一人で考えることではありません。
こうした機会に、全く違う考えを持つもの同士が互いのことをよく聞き、よく話、そこから、何らかの変容や動きが起こってくることだろうと思います。
本当に貴重はひと時をありがとうございました。
それと、これは追加コメントですが、毎年、おはぎは地元のお餅屋さんで買ってくるのですが、いつか、おはぎを作ってみたいなということもしばしば思います。祖母が作っていたおはぎが忘れられません。まあ、今年もギリギリでしたので、出来ることから少しずつ。
さて、明日は、【ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて】です。
お盆は明けますが、お寺にもまた違った風が入ってくるかもしれません。
#間の会 #お盆 #盆踊り#aidanokai
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