◇【間の会のお便り】2022年8月3日 ◇ を掲載します。

皆さま。

こんにちは。

猛暑の日々、そして、急な豪雨などで被害の出ている方々も含め、皆さまにお見舞いを申しあげます。

【間の会のお便り】を掲載いたします。

今回は、主に父とのことを書きました。

最近、思想や信仰のことなど、多々、考えることがあり、それらに関しても、表明したいことはたくさんあるように思いますが、お便りとして一つの文章にまとめ切れません。例えば、仮に、このお便りが最後にお送りするものになったとしたら、たくさん言い残して、悔いが残るかもしれないという思いもよぎります。しかしながら、これが、今、お送り出来る最低限のことです。これが今生きることであり、先の後悔のことを考えても仕方ありません。また、9月分の日程はまだ決まっていないところが多く、一部のみです。

いつもより短いですが、よろしくお願いいたします。


◇【間の会のお便り】2022年8月3日 ◇


どうもなかなか危険なくらいの猛暑が続いています。みなさま、お元気でお過ごしですか?

しかし、この炎天下の季節は、どこか先人のことや人生のことを思わせます。

今回は、8月分と、9月の決まっている分のみのご案内となります。

※ 2022年7月30日開催予定だった「津久井やまゆり園事件を忘れない集会inみえ」は秋頃に延期になりました。


1、ごちゃまぜ 人間の会

日時:2022年8月7日(日)13:30〜16:30

場所:津センターパレス地下一階 津市市民活動センター 研修室

呼びかけ人:西脇秀典・松田愼二(万が一の場合、西脇が立ち会えないこともありえます。)

※今回から日曜日になりました。以降10月2日、12月4日(偶数月第一日曜日に開催します。来年以降未定です。)


2、お盆の間の会(盆踊りをいたしましょう。決まった振り付け、音楽はありません。)

日時:2022年8月15日(月)16:00〜19:00

場所:津市まん中広場(雨天の場合は、お城西公園東屋※判断しにくい場合はお問合せください。)


3、ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて

日時:2022年8月17日(水)13:30〜16:30

場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)

※今月は第三水曜日です。


4、月々の間の会(8月)

日時:2022年8月28日(日)13:30〜16:30

場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 2階集会室


5、ご縁の間の会 万松山 専琳寺さまにて

日時:9月はまだ確定していませんが、多分、第二水曜日になることが多いです。

場所:津市大門 万松山 専琳寺(津観音の東、立町商店街を抜けたところ)


6、月々の間の会(9月)

日時:2022年9月25日(日)13:30〜16:30

場所:津市贄崎地区防災コミュニティセンター 2階集会室


◆ さて、正直なところ、なかなかどうしても、落ち着いてお便りを書けません。

【間の会のお便り 2020年4月23日】の号で、父の「仕事はふるさとに帰ること。」という言葉をご紹介しました。今、父は、最後の大仕事の真っ最中です。6月頭から入院していますが、今、父がいるのは病院なのでしょうか、何か具体的には言えない感じもあります。コロナ期で面会は禁止されており、病院の方から呼び出される時しか、会うことは出来ません。呼び出されるとその都度、病院の先生からは、覚悟してください、と言われています。父は、声を発することはなく、目もほとんど開きませんが、呼びかけの声は聞こえているように感じます。一昨日は手を強く握り返されました。

覚悟というのは正直、どうしたらいいか分かりません。何をするという答えもないでしょうけれど、父がこの大仕事を遂げるその時に備えて、どうしたら、父を自然体で見送ることが出来るのか、その道のりを、ことほぐことが出来るのか、日々、父の生きてきた道のりを辿っています。父の言葉や仕草、口ずさんでいた歌、繰り返し語っていた言葉、何度も語ってくれた映画や、目の前のシーンを、ただただ辿っています。昔の写真や持っていたレコードなどを手に取っています。当然ながら、父の記憶を辿ることは出来ません。しかし、父の言葉や写真や、語ってくれた映画や音楽などを辿っていくと、だんだん、それは父の記憶なのか、わたしの記憶なのか、区別がつかなくなってきます。実際に直接会うことはほとんど出来ないのですが、生活の中心に父がいて、日々、父と何かを舞っているようでもあります。色々な意味で、全くどうにも思うようにはなりませんし、何一つ先回りすることも出来ません。日々、刻々、どう過ごしていいか分からないものの、それでも生活は続いていきます。直接会えないけれど、今は、大仕事にいそしむ父とひと時、一緒に旅をさせてもらっています。ありがたい時間です。

5月の連休の頃に、弟が帰省した折に、ここ数年気になっていた、父が疎開していた祖父の実家のお墓に、父を連れて行きました。戦争中やそれ以前に亡くなってしまった父の兄妹や父の祖父母などのお墓は、わたしが小学生の時に祖母が亡くなり、祖父が新しいお墓を建てるまで、家族皆でお墓参りに行く、そのお墓でした。久しぶりにお参りしたそのお墓には、もう、父の兄妹の名前はありませんでした。父は、お墓に来ているのかどうかも分かっているのか分かっていないのか、わたしには判断は出来ませんでした。そこはまだ今も片田舎なので、山並みなどは、昔と何ら変わらないように思いましたが、父はもう、遠くを眺めるとか、景色を見るということもしませんでした。わたしは、懐かしい景色というものがずっとあるだろうと思っていましたが、それは浅はかでした。そう言えば、父は、今の家にいる時も、度々、どこかに帰ろうとしました。どこに帰ろうとしていたのでしょうか。父の話からは、戦前や戦争中の家や、疎開先の居候していた家や、戦後の一時期住んでいた家や、立ち退いて今の家に移る前に父が建てた家や、わたしがこどもの頃に住んでいた家や、色々な家が現れてきました。父のふるさととはどこでしょうか?そして、わたしや、わたしたちのふるさととは一体どこでしょうか?父だけでなく、本当に、わたしたちも、ふるさとに帰るという以外の最大の仕事などあるでしょうか?ともあれ、毎回、全く初めてで懐かしい間の会でお会いましょう。

以上の件、すべてお問い合わせ、ご連絡先は、

● メール:aidanokai2015@gmail.com  間の会 西脇秀典です。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。              

2022年8月3日   間の会  西脇秀典

写真は、庭の紫紺野牡丹。結構年中咲いています。父は紫色の花が好きです。

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